ICTエバンジェリスト(伝道者)で「世界最高齢プログラマー」と称される若宮正子さん。
88歳の今もなお、毎月の半分以上は全国へ講演会に出かけ、そのスケジュール管理から切符の手配までワンオペでこなしています。世界中の人とインターネットを通じて意見交換しながら好奇心旺盛に日々を過ごす若宮さん初めての人生読本『昨日までと違う自分になる』(KADOKAWA)より、一部抜粋してご紹介します。
50代で初めての海外旅行へ。一人行動に躊躇はないの
一番最初の海外旅行は、香港へパックツアーで行きました。これは好きで行ったわけではなく、人数合わせのために付き合った旅行でした。その後、一人だけで初めて訪れたのはヨーロッパです。
昔から一人で出かけるのが好きだったのです。前にお伝えしたように、小学校4年生ぐらいのときは、兵庫県の生野鉱山から豊岡市の母親の郷里まで、電車を乗り換えて一人で行ってましたから。うちの親がそれで心配したという話は聞いたことがありません。当時は電話もない時代ですし、あと2日もしたら帰ってくるでしょうよ、なんてのんきなことを言ってました。
やっぱり私たちの年代は学童疎開などで親と離れての暮らしを経験していましたから、ちょっと違う体験をしてるのですね。ですから、一人で行動することに躊躇(ちゅうちょ)などはないんです。戦争中に育った子って、ある意味、早くから大人でした。そうならざるを得なかったってことなんでしょう。
私が海外旅行に行きはじめたのは1980年代後半、50代になってからです。初めての一人旅はパリ7日間、往復切符とあとは自由行動というツアーで、フランスのあちこちとベルギーにも行きました。
日本は1964年まで、観光目的の海外渡航を国民に許していませんでした。海外旅行が国内の中流層にも広まり始めたのは1970年代後半からのことです。
飛行機の大型化や高性能化が進み、航空会社が増加、路線も拡大していきました。
そのおかげでアジア系やアエロフロートなどの格安航空運賃を利用すれば、ツアーを利用しなくてもなんとか個人旅行ができる、徐々にそういった時代になっていきました。
銀行員だからだったのかもしれませんが、私は割と早くからクレジットカードを持っていました。昔はヨーロッパへ行ったら各国の通貨がそれぞれ違うわけですよね。国を跨いで通貨を両替するたびに手数料が取られるし、時間もかかる。だからユーロができて、とても良かったなと思います。ユーロが流通してすぐに、それを見たさにヨーロッパへ旅行に行ったほどです。