定年後に母の介護をしながらパソコンを始め、2016年からはアプリの開発を開始。17年に米国アップルによる世界開発者会議「WWDC 2017」に特別招待されたITエヴァンジェリストである若宮正子さんに「人より目立っちゃいけないの?」をテーマにお話を聞きました。
この記事は月刊誌『毎日が発見』2024年3月号に掲載の情報です。
「自分好き」でいいのです。
これからは多様化の時代、
心にブレーキをかけないで。
私はどこに行くときもエクセルでデザインした柄のカラフルな服を着ています。
そのせいか、街でよく声をかけられるのです。
そもそも、80代のおばあさんがバリバリ働いているのが珍しいのでしょう。
講演会や本の出版もあり、はっきり言って目立っていると思います。
でも、私の目的は有名になることではなく、通信技術をユーザーに分かりやすく伝えるという、自分の使命を果たすことです。
そのためには広く存在を知ってもらう必要があるわけで、結果として、目立つことは"エバンジェリスト(※)"としてはありがたいことだと受け止めています。
というわけで、私は元来、目立ちたがり屋ではないのですが、面白がり屋ではあると思います。
なんだか知らないけれど、人生が面白いことになってきた!とワクワクして、この流れに乗っちゃおうと面白がって踏み出した結果、今があるのですから。
そうして考えてみると、自分にブレーキをかけないことが世界を広げるコツだ、という気がします。
ところが、多くの人は自分の心にブレーキをかけることを得意としています。
本当はやりたいことがあるのに、もう年だからとかなんとか。
つまり、リスキーなことはしたくないというわけですが、できるかできないか、損か得かなんて考えていたら、大抵のことは自己防衛本能に負けて「やらない」という判断になってしまうのではないでしょうか。
新しい挑戦をするとき、私はいつも「失うものなんて何もないのだし」と思うのです。
あったとしても、失うものの代わりにトキメキという新たな希望が入ってくるなら古いものは手放したっていい。
むしろ古い価値観を捨てなくては楽しめないと確信しています。
自分ならできるという過度な期待は、落胆の元だと考えて消極的になる人もいるようです。
確かに他人に対する期待は裏切られるのがオチですが、自分への期待は大いにすべきだと思います。
自分が自分を信じなくてどうするのですか。
たとえ「あの人って自分好きよね」などと揶揄されても怯(ひる)むことはありません。
「私なんて......」と言っている人の中にも、大なり小なり自己顕示欲はあるのです。
このことを認めずに過ごしていると、心の風通しが悪くなってしまいがち。
自分は我慢しているのにという悔しさに翻弄されて、人の幸せを喜べなくなってしまうかもしれません。
近頃は若い世代の人たちもずいぶんと保守的で、それが少々気になります。
着る服にしても黒などの地味色ばかりが目につきます。
まるで戦争直後の若者のようです。
私が若い頃は物資不足で、ファッションを楽しむなんて夢のまた夢でした。
暑いから半袖のシャツが欲しい、寒いからコートが必要だといった具合に、快適に過ごすことが目的で、もとより限られた選択肢しかなかったのです。
でも今は、カラフルで個性的な服がたくさん売られています。
それなのにどうして地味な装いをしているの?と若い人に尋ねたら、目立ちたくない、無難だから、といった答えが返ってきました。
それが悪いというのではないけれど、「そうしたいから」という理由でないところに私は一抹の不安を感じてしまうのです。
保守的な人に未来をつくる創造力はあるのかな? 多様化の時代だというけれど、口ばっかりじゃ定着しないのではないのかな?と。
多様であること、それを認めることって素晴らしいです。
いろいろな人がいたら楽しいし、そこから新しいことがたくさん生まれるのだし、差別のない世界は誰をも幸せにします。
そのためにはまず、一人ひとりが自分を解放しなくては。
目立つことなんか気にしている場合ではないのです。
みんな堂々と自由に生きて良いのです。
※もともとはキリスト教における伝道者のことで、最新のテクノロジーを分かりやすく解説したり、啓蒙する活動を行う人のこと。
構成/丸山あかね イラスト/樋口たつ乃