定年後に母の介護をしながらパソコンを始め、2016年からはアプリの開発を開始。17年に米国アップルによる世界開発者会議「WWDC 2017」に特別招待され、現在、岸田首相主催のデジタル田園都市国家構想実現会議構成員としても活躍中の若宮正子さんに「趣味を持つこと」について伺いました。
心豊かに生きるためには趣味を持たなければ、と考えている人が多いようです。
趣味を持っている人はなんだか立派に見えたりもします。
もちろん趣味があるのはすてきなこと。
でも趣味というのは、ただ好きなことをしているだけの、いわば「道楽」なのですから、そんなに堅苦しく考えることはないと思います。
ただし道楽には、周囲の人に文句を言われないように「言い訳」が必要なのですね。
趣味のある人が高尚に見えるとしたら、「言い訳」が立派だからなのではないでしょうか。
例えば「東海道中膝栗毛」に出てくる弥次さんと喜多さんの表向きの旅の目的は「お伊勢参り」だけれど、本当は旅の道中を楽しんでいただけなのです。
私も旅道楽なので分かるのですが、旅は道草が醍醐味。
自由に歩き回らなければ見ることのできない景色や、新たな発見に心が躍るのです。
旅に限らず、道楽にふける人は、時間の無駄遣いなんて気にしません。
元を取ろうなんて発想もない。
とにかく自分の心を喜ばせることに夢中で、そのためなら一所懸命に貯めたお金でもうっかり使ってしまう。
私がパソコンという趣味に目覚めたときもそうでした。
人と交流するのが好きなのに、定年退職後は自分の世界が小さくなってしまうという危機感を覚えていたところ、インターネットの世界に「交流サイト」があることを知り、当時は30万円もしたパソコンを買ったのです。
接続の仕方も操作の仕方も、どうやったらサイトの仲間入りができるのかも知らなかったのに......。
講演会などでこの話をすると、「すごい勇気ですね」と言われますが、うっかりしてワクワクしただけで勇気なんて要りませんでした。
悪戦苦闘の末にネットにつながったときは嬉しかった。
いまではシニア世代のサイト「メロウ倶楽部」を通じて、たくさんの友達と語り合っています。
私にとってパソコンは「希望の種」でした。
その種をたまたま育てたら「趣味」になりました。
もし趣味が欲しいと考えていらっしゃるのであれば、希望の種をみつけるのが良いと思います。
コツは、自分の心の機微に敏感であることです。
年を重ねると経験値が増える分、感動に対する感性が鈍ってしまいがち。
ですから自分の小さな心の動きをよくよく観察する必要があります。
例えばピアノの演奏会へ行ったときに「あんなふうに弾けたらいいな」と思ったら、それは希望の種かもしれません。
友達から届いた絵手紙を見て「私も子どもの頃、絵が得意だったなぁ」と思い出したら、それが希望の種かもしれません。
そうしてみつけた希望の種は、恥をかくことを恐れず、とにかく始めてしまうことです。
私の趣味の一つに俳句がありますが、お世辞にも上手とはいえません。
それでも誰かに迷惑がかかるわけではないし、プロではないのだから下手であたりまえ、自分が楽しければいいと開き直っています。
長続きしないかもしれないという不安から希望の種を腐らせてしまうというのももったいない。
なんだってやってみなければ分かりません。
たとえやめてしまっても無駄になることはないのです。
私は若い頃に日本舞踊を習っていましたが、ちっとも上達しないのでやめてしまいました。
でも日舞を通して日本の伝統芸能に触れたおかげで、のちに歌舞伎が好きになりました。
とはいえ無趣味も趣味のうち。
一人でぼんやり過ごすのが好きだ、家事や仕事をしていると落ち着くという人がいてもいいのです。
そもそも趣味は「持たなければいけない」というような大層なものではありません。
やりたいことや生きがいになることは、頑張って探さなくても、自然にみつかり、気付いたら続けているのではないでしょうか。
趣味というのはそういうものだと思います。
イラスト/樋口たつ乃