「体の不調」や「老後の貯蓄」などの心配事は、誰もが抱えているはず。考えすぎて心の重荷を増やす、嫌なサイクルに陥ってしまっている人もいるかもしれません。そこで取り入れたいのが「禅の習慣」。今回は、google本社で禅の講義を行う話題の禅僧による、「心配を取り除くための"ちょっとした思考のクセや生活の習慣を変える方法"」について、連載形式でお届けします。
※この記事は『心配事がスッと消える禅の習慣』(松原正樹/アスコム)からの抜粋です。
■禅の習慣
「心配事の正体を知る。それだけで、心がラクになる」
ひと口に「心配事」といっても、さまざまな種類があります。
ご自身や家族の健康状態、お金のこと、職場やご近所との人間関係など、人は生きているかぎり、今起きている問題やこれから起きるかもしれない問題を不安に思い、悩んでしまう生き物です。
こういった感情を持つのは当たり前のことで、人間が生きのびるために身につけた「自己防衛能力」、「危機管理能力」がなせる性質だと私は思うのです。
ただ、やはり、あまりにこの性質が大きくなると、あれやこれやを心配しすぎて、生きることがとても苦しくなってしまいます。
「できればいろいろなことを心配しすぎず、ラクに生きたい」
そんなふうに思っている方に、私はまず、「あなたを悩ませている心配事は、すぐに対処できるものですか?」とお聞きします。
たとえば「老後のお金が心配だ」と悩んでいるのなら、今できることは何かを考えてみるのです。将来的に必要な金額を計算してみる、月々いくら積み立てるなど、ささいなことでも対処できることはあるでしょうか。
何かしらの方策が打てる心配事は、具体的解決のための行動をとることで心がラクになります。しかし、現実的には次のようなケースのほうが多いでしょう。
心配事の大半は、「定期預金や保険など打てる対策はとっているけど、老後が心配で仕方がない。家の補修、子どものこと、介護、お墓、考え出したらキリがない」といった具合。現実的に解決できることから具体的な解決策を見いだせないことまであれこれ想像し、悶々として抜け出せないループに入り込んでしまう。これこそが心配事の本質です。
心配事は、自分ではコントロールしようのない事柄、しかもそれが将来本当に問題になるかもわからない事柄に対して、あなたの心が勝手に不安になってしまっている状態です。
どれほど心配に時間を費やしたところで、現実は何も変わりません。苦しい時間が増えるだけです。
仏教では、すべての物事には「原因」があって「結果」があるとしています。「原因」がさまざまな「縁」によって姿を変えて、「結果」につながるのです。
あなたの抱えている心配事にも、必ず「原因」があります。その原因の9割以上は、現実的に対処できる問題ではなく、「あなたの心模様しだい」です。
この本ではこれから、あなたの心が心配事に悩まなくなるための禅的な習慣をお伝えしていきます。たとえ今の環境や状況が変わらなかったとしても、心模様が変わるだけで、あなたを悩ます心配事は嘘のようにスッと消えることでしょう。
次の記事「心配事をサクッと解決するたった一言の魔法の言葉とは/禅の習慣(2)」はこちら。