自分の「いらないもの」は誰かの「いるもの」。お金も徳もたまる「無料」の活用法

老後資金のために「そろそろ真剣に貯蓄しなきゃな...」と思いつつ、でも実は「お金」について真剣に考えたことはない、という方も多いのではないでしょうか?そこで経済評論家の佐藤治彦さんの著書『お金が増える不思議なお金の話』(方丈社)から、佐藤さんの実体験をもとにまとめた「人生が楽しくなるお金の捉え方」のエッセンスをお届け。まずは身近なところから「お金」について考えませんか?

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どうぞ、ご自由にお持ちください

「ご自由にお取りください。」

そう書いてあったので、段ボール箱に手を伸ばし、ひとつかみした。もう6年以上前のことで、どこかの公共施設だったと思う。

それは小さなピンバッチで、2020年東京五輪、パラリンピックの誘致活動のためのそれだった。ピンバッチだとわかって、手を出した。じつは若いころに山ほど一緒に仕事をした東京の民放局のディレクターがピンバッチを集めていることを思い出し、無料ならもらっておこう、そんな軽い気持ちだった。

海外に出かけたときも、ちょっといいかもと思うピンバッチが2ドルくらいまで売られているのなら買っておく。ピンバッチのいいところは、小さくて軽い、じゃまにならないところだ。

そのディレクターと会うのは仕事の現場で、それはいまは数年に一度くらいで、いつ会うのかなんてわからないけれど、チャンスがあって渡すと、ちょっとニコっとしてくれる。つかんだピンバッチは8、9個あって、ちょっともらい過ぎかなと思ったけれどピンバッチなので小さいし軽い、それに段ボールの中には山ほどあったから、ま、いいかとそのまま持っていたトートバックの中に入れた。

家に戻ったときには、もうそのピンバッチのことは忘れていたが、バックの中身を全部出したときにはもちろん出てきた。もらってきたことをそうして思い出し、ディレクターに渡すのを忘れないように、書棚の隅の新書を並べてある前に置いた。見えるところに置いておけば忘れない。

東北の地震の復興や福島の原発事故の廃炉の最中にある中で、莫大な金を使ってオリンピックをするのか?という話もあれば、日本が困難なときにあるからこそ、国民が気持ちをひとつにできるイベントが必要だという声もあった。

その後、都知事が招致活動の中で人種差別につながる発言をして問題になったり、それでもテニスをしたり、「お・も・て・な・し」が流行ったりしながら「トーキョー」に開催地が決まった。僕も一緒に喜んだ。オリンピックは始まるとアスリートの素晴らしさですべてを忘れてしまうのだが、そのまわりにいる人たちとその振る舞いにはうんざりする。

なにしろ、決まったあとも、東京都、国、組織委員会での権力争い、招致における賄賂疑惑、膨れ上がる予算、大会ロゴは盗作、東京開催だけれど、埼玉、千葉、神奈川など開催地をめぐっての駆け引き、低予算オリンピックのはずが新施設を作るかどうかで大混乱、なにしろメインスタジアムの設計までやり直しとスキャンダル続出だ。

ちなみに、メインスタジアムの設計は当初決まったザハさんの神殿のようなものと最後まで競い合った日本人2人のSOMAのものが、現代的で日本らしくよかったなあといまでも思ってる。

オリンピックは大きな金が流れるから、そこのまわりにいる人がひと儲けしようとするのはしかたないなあと思うものの、ちょっと欲望出し過ぎだよと思った。それでもアスリートからは、そういう嫌な話が聞こえてこないと思ったら、カヌーで禁止薬物をライバルに混入させたり、女子レスリングで監督とメダリストのあいだで確執が表面化したりで、うんざりする気落ちを鎮めるために、また、相田みつを先生の力を借りた。「人間だもの」、これ、やはり最強の万能薬である。

時間は戻る。2020年の東京オリンピックで気になるのは、やはり東北の復興である。一時期は復興五輪とまで言われたのだ。

同じ日本人として東北のことを忘れることはできないし、これだけ電力のおかげで快適な生活を送ってきたのだから、原発の問題は自分の問題でもある。だから、2011年以降は、自分のできる範囲で東北の復興に募金をさせてもらってきた。それでも、久米宏さんやイチローみたいに、ポンと何千万円も出せるわけがない。

せいぜい行きつけの美容院のちょっとヤンチャな若い美容師が、友だちの美容師とともに月曜の夜から徹夜で火曜日の休みに車で被災地に行って髪を切ってくると聞いて、1万円札を「ガソリン代の足しにしてくれ」と渡すくらいだ。

外国の有名オーケストラが来日するとなったら被災地で演奏会は開けないか、その資金は集まらないかとお金持ちに声もかけた。誰も出してくれなかったので、あきらめたけれど。本が増刷になって印税が入ったら、その一部をまわす。

ふるさと納税で得した金額の半分を被災地にまわす。とくに被災地で進学でこまっている少年少女たちにまわす。

もうひとつ、自分の使い古したものをまわす。もちろん、そんなものを被災地にまわしたって誰も喜ばない。いちばんいいのは現金だ。

30歳ごろに買って20年くらいも使ってきた、吉田カバンの「タンカー」という黒いボストンバックは超定番で3万円しないのだが、さすがに古くなり、新しいのに買い替えることにした。

また、8、9年前に欧米のブランド品こそ、薄っぺらい自分を隠すのに必要だと思っていたころに、ミラノのあの大ギャラリアのど真ん中にあるルイヴィトンで8万円で買ったカバンは、ショルダーベルトに破れが出てきて、もう使うのをやめていた。

ボロボロの商品をきちんと説明し、ネットオークションに出したら、なんと合わせて1万3000円になった。そこで3000円で鮨屋のランチで上にぎりを食べて、1万円を寄付した。

何かすごく得した気持ちになった。いらないものをお金に変えて、未来ある若者をちょっと手助けできた。いつもよりおいしいお寿司でお腹はいっぱい。何より気持ちがすがすがしい。グッド・ジョブ!小さくガッツポーズしたくらいだ。

オリンピックでスキャンダルが続出し、それでも招致が決まってうれしいというプラスとマイナスの気持ちに引き裂かれそうになっているときに、書棚の隅にあるピンバッチに目がいって、ネットオークションに出してみた。初値300円。初値というのは最低落札価格のこと。「それ以上で入札してください」という価格だ。

翌朝、目が覚めたら1830円になっていた。ちょっとこわくなって早期終了した。無料で手に入れたものが、オークションに支払う手数料を差し引いても1600円以上手もとに残る。こわい。そして、本当に振り込まれた。オークションには評価があって、嫌な思いをさせられるとたいへん悪いと評価を受け、ネット上で罵倒される。送ってみたら「たいへん良い」の評価がついた。

そして、書棚にはまだ5個以上ピンバッチが残っていた。次は初値500円で出した。ただ、また、びっくりするような価格になるのも嫌だった。案外小心者なのだ。そこで、即決価格を設定した。この価格までいったら、それで落札。オークションはおしまいという価格だ。言わば、出品者の落札希望価格である。1200円。中途半端である。それが僕なのだ。出したら5分でオークションは終わった。何のためらいもなく、1200円で買ってくれる人がいた。

こうして、「ご自由にお取りください」は自分の持ちものも同時に売ったので、1万5000円以上の現金に変わった。1万円を寄付して、寿司屋に行って「5000円で何か食わしてくれ」と言った。

寿司を食いながら、僕は小学生の終わりから高校受験の前まで集めた映画のチラシのことを思い出した。映画のチラシは、いまでもあるから映画館で映画を見る人はわかると思うけれど、B5サイズで表はだいたい映画のポスターと同じデザイン。

裏面は作品の解説やあらすじ、みどころ、主演キャスト、監督やスタッフの名前が掲載されている。あとは前売り券の値段、公開予定日、上映映画館名といった情報も書かれている。

これが、映画館に行くと無料でもらえるのだ。映画のポスターのデザインはたいていがすごく凝っていてカッコいい。だから、チラシもカッコいい。僕は映画を観に行くと1枚でなく、ときに5枚ほどもらって、大切に厚紙にはさんで折れないようにして持って帰る。そして、クリアファイルに入れておく。

僕が中学時代の1970年代は、そのチラシがブームだった。

新宿の甲州街道と明治通りの交わる新宿四丁目交差点、つまり新宿伊勢丹のすぐそばだ。その交差点にある雑居ビルの1階に、かつて「シネマブティック鷹」という店があった。そこではポスターやプログラムなど映画関係のコレクションを売っていたのだが、その店の前のスペースが子どもたちのたまり場となっていた。

毎日曜ごとにチラシの交換会があった。交換会と言うよりも、もはや市である。2、30人くらいの小学高学年から高校生くらいまでの少年が集まっていた。ときには大人も数人混ざる。そこで、持っていないチラシを自分のコレクションの中から交換してもらう。

これこれを欲しいといって、僕のクリアファイルを渡して交換してもいいものを選んでもらう。こうして選ばれると、なくなってしまうので、映画館で5枚くらいもらってくるのだ。どうしても欲しいものはこちらから2枚とか3枚差し出して1枚もらうという感じ。

人気のチラシは、みんな欲しがる。スティーブ・マックインとポール・ニューマンが初共演し(実際はマックイーンが無名時代にニューマン主演の映画にちょい役で出たことがあるが)『タワーリングインフェルノ』とか、スピルバーク監督の名前を不動のものにした『ジョーズ』のチラシなどは映画も大ヒットしたおかげで、チラシも大人気だった。

チラシファンはたいていB5の透明なプラスチックやアクリル板のあいだにチラシを入れて、そのときにいちばんお気に入りを持ち歩いた。下敷き代わりに使えるので、学校にも持っていった。それを見て「あ、それ僕も見た!」と映画の話が始まる。

子どもたちは仲間はずれは嫌なので、映画を見に行く者もいた。チラシファンだけでなく、普通の少年たちも下敷き代わりに映画のチラシを入れたアクリル板は大いに流行った。

コレクションを始めると、欲しいものがどんどん出てくる。『タワーリングインフェルノ』は高層ビルが火事になるサバイバルのパニック映画、その少し前には豪華客船がひっくり返る『ポセイドンアドべンチャー』という映画があった。牧師役を務めたジーン・ハックマンの出世作だ。

その映画が公開されたころはまだチラシブームでなかったので、そのチラシを少年たちは手に入れたがっていた。あるときから、チラシとの交換だけでなく、中には売買する少年も現われた。

僕はここでお金を使い始めたらおしまいだと思って、必死に映画館でチラシをもらって交換した。何しろ小学生のころの僕のこづかいは1か月500円だった。映画を見るのにお金を使うのはいいが、チラシには使いたくなかった。初めは新宿で映画を見るときだけ行っていたのだが、だんだん交換市に行くために新宿で映画を見るようになった。

ときたま名画座(ロードショーでない映画をロードショーの半額以下で見せてくれる)でもチラシを作ることがあって、一番人気の映画のチラシを見つけて鼻血が出そうになった。ただし、このチラシには映画館名が印刷されていなく空白だった。

映画のチラシマニアでは、映画館の名前は重要だった。「テアトル東京」や「ミラノ座」「有楽座」「みゆき座」など一流映画館の名前が印刷されていると、一段価値が上だとされた。

名画座で一番人気のチラシがあった。みんなが群がるのが目に浮かび、映画館のおじさんに叱られないかちょっと不安に思いながら、僕はけっこうガバッと取った。映画が始まる前と、終わって帰る前の2回取った。きっと30枚以上取ったはずだ。

それは、シルビア・クリステル主演の『エマニエル夫人』のチラシだった。ほとんどの少年はその映画を見たことはなかったのだが、やはりエロは最強だった。翌週、「シネマブティック鷹」の前で、僕は前からどうしても欲しかった『スティング』『ブリット』『ゴッドファーザー』『2001年宇宙の旅』などの神チラシを手に入れた。

「シネマブティック鷹」の交換市には高校受験が本格的になったころからだんだん行かなくなったが、チラシ集めは30歳近くまで映画館に行くたびに続けた。僕のところにはそうして集めた映画のチラシが2000枚くらいある。何回も捨てようと思ったけれど捨てられない。

なにしろ1970年代のチラシだ。もう40年も前のものである。きっと価値があると思っている。そして、少年のころの思い出がある。

ご自由にお持ちください。私は、その言葉にどうも弱いようだ。ちなみにピンバッチ好きのディレクターにはまだ会っていない。書棚の隅にはまだ例のピンバッチが2個残っている。

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佐藤治彦(さとう・はるひこ)

1961年生まれ、東京都出身。経済評論家。慶應義塾大学商学部卒、東京大学社会情報研究所教育部修了後、約5年間JPモルガン、チェースマンハッタン銀行勤務。退職後は金融誌記者、国連難民高等弁務官本部でのボランティアなどを経て独立。各メディアで、コメンテーターとしても活動中。

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『お金が増える不思議なお金の話―ケチらないで暮らすと、なぜか豊かになる20のこと』

(佐藤治彦/方丈社)

貯金できない人の最大の原因、それは「お金との付き合い方を間違っている」こと。ケチらず使って心を豊かにすれば、「きっとお金は自然と増える!」という経済評論家のエッセイ。実体験をもとにまとめた20のエピソードで、楽しくおトクにお金のことが学べます。

※この記事は『お金が増える不思議なお金の話―ケチらないで暮らすと、なぜか豊かになる20のこと』(佐藤治彦/方丈社)からの抜粋です。

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