「死ぬことは本当に悲しいことなのか?」長男の闘病、そして死/柳生博さんインタビュー

八ヶ岳山麓に生活の拠点を構え、多忙な日々を送りつつも、自然と向き合って暮らしてきた柳生博さん。発売中の『自然を生きる、自分を生きる』でも東京と八ヶ岳の「多元生活」について紹介しています。そんな柳生さんにお話を伺いました。

「死ぬことは本当に悲しいことなのか?」長男の闘病、そして死/柳生博さんインタビュー pixta_41174019_S.jpg森を一緒に作ってきた長男の闘病と死

――長男・真吾(しんご)さんは、柳生さんの影響を受けて、自然に魅力を覚え、園芸家、タレントとして活躍されましたが、2015年、咽頭がんのため逝去。47歳でした。真吾さんは闘病中も園芸家として精力的に活動を続けていらっしゃったそうですね?

柳生 最初は、舌がおかしいと言って歯科に通っていたんだけど良くならない。そこで、総合病院で調べてもらったら、初期のがんであることが分かりました。初期だったので治るだろうと、しばらくたいしたこともしないでいたら、急激にしゃべれなくなって。最期は手の施しようがなくて、痛み止め治療だけを行う病院で過ごしました。当時、真吾は『スイセンプロジェクト』という活動をしていたんです。東日本大震災で被害のあった場所に、日本全国からスイセンの球根を持ち寄り、たくさんの人たちと一緒に現地に植えに行き、花を咲かせようと企画されたものでした。全部で16万球ぐらい植えたかな。三陸鉄道の車窓から見える場所や、バスが停まる所とかね。人の目に触れやすい所を重点的に植えていました。

 

――闘病中、真吾さんの声が出なくなってからは、どんな風にコミュニケーションをとられていたのでしょう?

柳生 真吾はいつも大きなスケッチブックを持っていて、筆談でやりとりしていました。亡くなる少し前「親父、カタクリ、まだ咲いてる?」って書くんだよ。「いやぁ、みんな落ちちゃった」って僕が答えると、すごく残念がって。森のことは全部分かっていてね、カタクリの花を楽しみにしているのに、花が落ちた連休にしか来ることができないお客さんのことを思って残念がっていたんです。真吾が聞きたいことは、いつだって植物のこと、鳥のこと、それから風だね。盛り上がると、朝まで飲みながら話したりね。不思議なことに八ヶ岳にいると「死ぬことって本当に悲しいことなのか」って感じることがあるんだよね。ただ、東京にいて思い出すと泣いちゃうんだけど。森のことは全部、息子とかみさんと、家族でやってきたから。十分やったって思いがあるからなのかなぁ。


心の目を開けば新たな発見に出合える

――歳を重ねてなお輝いている柳生さんですが、より良く生きるために心がけていることは?

柳生 八ヶ岳倶楽部には、いろんな人がいるんだよ。例えばうちで働いている子は、冬は暇になるので海外に行って日本語の先生をして、暖かくなったら戻ってきてうちでまた働くって人がいっぱいいる。人には、女の人男の人、若い人、年を取った人、いろいろいるでしょ。だから、笑いながらどこかに入ってみるといいよね。楽しいときはいつかって考えると、「なるほど、そうゆうことか!」と気付くとき。これは誰でもそうでしょう。そのきっかけとしておすすめするのは鳥を感じること、見ること。鳥を知ると、季節を感じられるから。いつだって心の目を開いていられたら、新たな気付きがあると思うんだよね。

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現在もはしごで屋根に上がるという柳生さん。秘訣は「腕力でなく、バランス(笑)」

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取材・文/笑(寳田真由美) 撮影/八ヶ岳倶楽部

 

柳生 博(やぎゅう・ひろし)さん

1937年、茨城県生まれ。俳優。東京商船大学中退後、劇団俳優座の養成所へ。俳優業の傍ら、山梨県八ヶ岳南麓に住処を求める。1989年に八ヶ岳倶楽部を開設。公益財団法人日本野鳥の会会長、コウノトリファンクラブ会長。

この記事は『毎日が発見』2019年7月号に掲載の情報です。
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