ハイトーンボイスと変幻自在な曲展開が印象的なスリーピースロックバンド、「凛として時雨」のボーカル&ギターであり、作詞作曲も行うTKのソロ活動名義「TK from 凛として時雨」。唯一無二のサウンドの紡ぎ手であるTKが、「揺れにゆれ」ながら、自らの言葉で彼らの辿った道筋を書き下ろした初のエッセイ。
音楽へ道へと進み始めたあの頃、母親の反対、メンバーとの出会い、無我夢中だったインディーズ時代、そして、メジャーデビュー...TKの音楽にとってなくてはならないものとの巡り合わせとは?
現在、人気アニメの主題歌なども手掛けるTKの独創的な世界観の軌跡を垣間見ることのできるエッセイ『ゆれる(著:TK)』より厳選してお届けします。
『ゆれる』(TK/KADOKAWA)
結成
凛として時雨のベース&ボーカルである345(みよこ)とは、大学1年の頃に、好きなガールズバンド、GO!GO!7188のコピーバンドのメンバーとして出会った。
まわりに音楽仲間がいなかった僕は、誰かと音楽がやりたくて一緒に音を出せる人を無性に求めていた。誰のコピーをしてどうなりたいとか、その先にあるものよりも、「自分の手の先から何かを発してみたい」という純粋な欲求だったと思う。確か、345の友達とお互いに自己紹介をしたり、過去にやっていた音源などを持ち寄ったりして、そのコピーバンドは結成されたはずだ。
僕はあまり記憶にないけれど、そのとき僕はそれほどコピー音源がなかったからか、高校時代に歌の上手い友達とコピーしていたB'zの「calling」のMDを渡していて、それが彼女からすると衝撃だったらしい。高校生のデモにしては上出来だったのか、「GO!GO!7188のコピーをやりたい人」という名目で集まる予定なのに、B'zの音源を送ってくるヤバさが衝撃だったのかは定かではないけれど。
GO!GO!7188のライブ後だっただろうか。初めての顔合わせをした。メンバーは女性3人だったが、姉のいる僕は男が一人という環境になんの違和感もなく、好きな音楽ややってみたい音楽の話をした。社交的で友達の多そうなベースの子の親友として、口数の少ないギター&ボーカルの女の子が横にいた。僕の脳内にあるバンドをやっている人物像からはあまりにかけ離れている、おとなしく地味に見えたその子が345だった。初対面で抱いた「控えめで人に寄り添うタイプ」という345の印象は今もそんなに変わらないが、根底にはぶれない芯の強さを持っている人だと直感した。
僕がギター、345がギター&ボーカル、345の友達の女の子がベース、そしてドラムは先輩のパワフルな男性を経て、ベースの子の友達の女の子が正式に加入した。そのバンドは、女性ボーカルのバンドのコピーやオリジナル曲でのライブをこなしながら、2年近く活動したが、ドラムの子は既に就職をしていて、短大に通っていたベースの子の卒業と共に解散することになった。バンドを続けることができないと僕らに伝えたときの彼女たちの申し訳なさそうな顔と空気は、なんとなく今も覚えている。
きっと、バンドでなくても、異なる時間軸の中で共存する先に必ず現れるあの瞬間の儚さ。止めることもなく、尊重し、誰がどう見ても仕方ない分岐点に立たされたときに感じる無力感。自分の中に流れている時間が、当たり前に他の誰かと同じように流れていると錯覚してしまう。一秒間の概念はきっと人によって違っていて、どこかでちょっとずつずれていったんだろう。ただ笑い合って音と戯れていた時間がふと消えて、突然取り残されてしまったような気持ちだった。
「もう少し音楽を続けたいね」
人生を決定づける瞬間は、あまりにも自然に、淀みなく湧き出るものなのか。大学生活をあと2年残していた僕と345の意見は一致したものの、僕たちは新たなメンバーを探す必要があった。あの頃はドラムを探すのがとても大変で、ましてや僕のまわりにはあまり音楽仲間もいなかった。追加メンバーを2人も探す労力を思うと気が進まず、345がベースに転向し「あと一人、ドラムがいればいい」という状態にして、ドラムを探すという結論に至った。
「ギターが弾けるなら、弦が2本減るだけだからきっとベースも弾けるよ」
ベーシストが聞いたら怒るような横暴な僕の提案にも、345は苦言ひとつ呈せず、素直に引き受けた。自分の楽器を変更してもかまわないほどに、追加メンバーを探すのが億劫だったのかと思うと少しおかしい。
345はああ見えて、僕より思い切った決断をすることがある。「2本減る代わりに弦が太くなるじゃん!」と言わない辺りが、まさしく345という感じだ。本当は思っていたとしてもおかしくない。あのときはごめん。
同時に、ツインボーカルといえど、僕がメインボーカルをやることになってしまった。家族とカラオケで歌っていた小学校の頃から遠ざかっていたもの――〝歌〞にあえて触れようとしたのは、自分の声が自分の紡ぐ音楽にとって必要だと、どこかで感じていた上での覚悟だったのかもしれない。
結成当時の話はこれまで数多くのインタビューでもしてきたけど、メンバーを探すのが大変だったという話と、自分がボーカルをやる理由がどうも結びつかない。345がベースを担当してスリーピースにするまではいいとして、まさか歌いたかったのか、あのときの僕は。自分の歌すらも見つけていない2人がツインボーカルという形を取ったのは今思えば奇妙で、奇跡的だ。
345と2人で続けることが決まった頃、僕は「鮮やかな殺人」という曲を作っていた。僕はその曲に覚えたてのMIDI音源でドラムの音を打ち込んだ。先に自分のやりたいことを音源にして、「このドラムを叩いてくれる人」という形で募集した。
「どのバンドが好き」というのは、コピーバンドやオリジナルバンドを作るときの礎になるが、どのバンドにもそれぞれ表情や時間の制限がある。そんな中で、会ってから楽曲を作って、お互いの好みを擦り合わせる時間を取っ払いたかった。きっと、自分の中にあるインスピレーションに対して、焦っていたのかもしれない。
特に期限は決めていなかったが、あと2年もしたら訪れる卒業に対しての意識は少なからずあったはずだ。自分が作った音楽でどこまでいけるのか。そのささやかな興味と共に作り出した「鮮やかな殺人」が、どうやって生まれたのかをまったく覚えていない。ただ、誰かのコピーをしながら、お互いの音楽の価値観を合わせていきながら、オリジナル曲を作っていくには時間が短いことを、その前身バンドで痛いほど感じていた。僕は僕の奏でたいものを作る。そして、そこに何かを感じてくれる人が入ってくれるのが理想だった。
それほど意見を主張するタイプでもなく、あまりクラスで目立たない存在――そういう面では似ている僕と345が、それぞれ違う大学に通いながらも、残された2年という貴重な学生生活の中で、「音楽をやりたい」という純粋で妙に強い信念を持って引き寄せられたバンド。僕たちと共に、同じ方向を向いて歩みを進められるドラマーが現れるのを信じて、連絡が来るのを待った。
ほどなく、僕の曲を叩きたいと言ってくれるドラマーが現れた。スリーピースバンドになった僕たちは、バンド名を「凛として時雨」に決めた。最初に書いた「鮮やかな殺人」「TK in the 夕景」は、どちらも劇的な展開をする楽曲で、その複雑でテクニカルに聴こえる構成に、「プログレを聴いて育ったの?」とよく言われるほどだった。プログレというジャンルを聴いたことなかった僕だったが、突然降って止む雨のように、そしてどこか冷たいあの音の質感をバンド名に込めた。僕たちは何度もリハーサルを重ね、スタジオ近くの「ガスト」に入り浸って、夜中までよくミーティングをしていた。