ハイトーンボイスと変幻自在な曲展開が印象的なスリーピースロックバンド、「凛として時雨」のボーカル&ギターであり、作詞作曲も行うTKのソロ活動名義「TK from 凛として時雨」。唯一無二のサウンドの紡ぎ手であるTKが、「揺れにゆれ」ながら、自らの言葉で彼らの辿った道筋を書き下ろした初のエッセイ。
音楽へ道へと進み始めたあの頃、母親の反対、メンバーとの出会い、無我夢中だったインディーズ時代、そして、メジャーデビュー...TKの音楽にとってなくてはならないものとの巡り合わせとは?
現在、人気アニメの主題歌なども手掛けるTKの独創的な世界観の軌跡を垣間見ることのできるエッセイ『ゆれる(著:TK)』より厳選してお届けします。
『ゆれる』(TK/KADOKAWA)
はじめに
「本を書いてみませんか?」
なぜか僕にKADOKAWAの編集者の方から連絡が来た。
僕はなかなか本が読めない。そもそも本に興味を持っていないだろうし、時間的にも難しいだろうと踏んでいたマネージャーは断ろうとしていた。そこにストップを掛けたのは僕自身だった。数多くの才能溢れるミュージシャンがいる中で、わざわざ僕に声を掛けた理由が知りたくなった。どこに本を書いて欲しい要素があるのかを。
僕はある意味でとても保守的な人生を送ってきた。争いごとも避けてきたような人生だ。大学に入り、親ががっかりしない程度の職に就く未来がぴったりな子どもだったはずだ。それがいつからか音楽にのめり込み、いや、音楽がめり込んで来て、大学卒業と共に音楽だけの道を歩み始めた。なんの実績も先立つものもない当時の僕は、母に大反対された。僕にはあのとき、一握りの人が歩める無謀な道にたどり着く確かなものが見えていたのか、見えていなかったのか。無謀か、いや有望であってほしい。母に聞けば、僕が小さい頃の記憶はおとなしすぎてないらしい(後述するが、おとなしすぎない姉の成分で相殺されている)。そんな僕は主人公になれるのだろうか。
本の打ち合わせに行くと、「ライターがTKさんを取材して、それを元に原稿の土台を作るという進め方はどうでしょうか?」、つまり、僕が0から書くのではなく、ライターさんがインタビューを元に本のたたき台を用意しますということだ。そんな書き方があるのにも驚いた。僕は過去に一度だけ本を書こうと、書き溜めていたことを思い出した。しかし、自分の中にあるものはすべてが普通に見えてしまうので、人に伝えられるものは音楽以外にないと放置したままだった。そうだ、僕から見える景色も思考も、すべてが平凡なんだ。足りないことはあっても、持っているものは誰とも違わないものだと錯覚してしまう。音楽だけではなんとかしがみついて出せる鮮やかさ、その他に滲み出るものがあるのかと。だからこそ、そこに第三者が介入してくれることによって、自分を俯瞰して見られるのではないかと期待した。それと同時に、僕が発する言葉だけを別の人が操ったとして、それが自分の本になるのだろうかと。どこか半信半疑のまま、期待を胸に身を委ねてみることにした。
「僕は騙されたのかもしれない......!」
長い取材を経て届いた初稿は、きれいに美しく僕の輪郭を模った、甘い幻想を打ち砕くには充分のものだった。とても読みやすく、整頓されたそれはまさしくプロの文章だった。ふと、自身の音楽と重ね合わせる。僕はどれだけいびつな形でも、自分の中から生み出されたものが持つアイデンティティーを何より大切にしている。核にあるものは同じでも、ほんの少しのバランスで刺さるものにも、刺さらないものにもなってしまう。どこかで自分発信ではないもの、一緒に進めてくれる人がいることへの甘えに閃光が走った。自分のものではないものに触れたときにだけ現れる、拒絶に似たインスピレーション。視界がその瞬間、パッと開けた感覚だった。遅いけど。
インタビュー記事ですら自分の言葉がどう伝わるかを気にする僕が、書き下ろし以外の手法で本を作ることなんて、そもそもできるはずもなかった。僕は抽出してくれた部分をベースに、思い切ってすべての原稿を自ら書き下ろしていくことにした(書き直してごめんなさい)。出来上がるまでには長い時間を要したが、ライターさん、編集者の方と推敲しながら、見えなかった自分が浮き彫りになってくるのは刺激的だ。少しずつ「本」と「音楽」というものが頭の中でひとつになってきて、文章の中に自分を詰め込む作業に、だんだんと取り憑かれてくるように。いつか書きかけのままだった自分の続きを見つけることができたような気がした。
途中ですべてをひっくり返しても表現したいものを突き詰めてしまうのは、まるで自分の音楽人生そのもの。揺れにゆれました。
凛として時雨/TK(Toru Kitajima)