ハイトーンボイスと変幻自在な曲展開が印象的なスリーピースロックバンド、「凛として時雨」のボーカル&ギターであり、作詞作曲も行うTKのソロ活動名義「TK from 凛として時雨」。唯一無二のサウンドの紡ぎ手であるTKが、「揺れにゆれ」ながら、自らの言葉で彼らの辿った道筋を書き下ろした初のエッセイ。
音楽の道へと進み始めたあの頃、母親の反対、メンバーとの出会い、無我夢中だったインディーズ時代、そして、メジャーデビュー...TKの音楽にとってなくてはならないものとの巡り合わせとは?
現在、人気アニメの主題歌なども手掛けるTKの独創的な世界観の軌跡を垣間見ることのできるTK著のエッセイ『ゆれる』(KADOKAWA)より厳選してお届けします。
『ゆれる』(TK/KADOKAWA)
支配の失敗
凛として時雨が現在の編成になったのは2004年、僕が大学4年のときだった。
その頃、まわりの多くは就職や資格取得など、具体的な将来の目標に目を向けていたはずだけど、僕はバンド活動とバイトにほとんどの時間を費やしていた。1、2年で可能な限りの単位をすべて取り終えていた僕は、3、4年は最低限必要な講義を除き、あまり大学に行っていなかった。3年から変わる校舎での思い出も、1、2年生のそれと比べてかなり薄い。だんだんと僕の中の未来に対するスピードと、友達の中のそれは噛み合わなくなっていき、就職を選択しないことを羨ましがられてすらいた。
大学3年を終える頃には、頻繁に母から就職に関する連絡が来るようになった。今思えばはぐらかしているつもりの僕の返答も、きっと一切の余白なく就職活動をしないことは明白だったんだろう。何度も何度も「音楽なんかで食べていけるわけないんだから、考え直しなさい」という連絡が来た。母は昔から厳しく、そのときばかりはピアノを習わせたことと、家にアコースティックギターを置いていた父のことを恨んだだろう。
大学入学と共に、僕は埼玉で一人暮らしをしていた。新築ということで決めたその物件は、とにかく揺れて、揺れる。壁は薄く、定期的に隣の部屋から、「ファッションショーがしたい」と全身鏡を借りに学生が現れる謎の物件だった。
実家を離れてそこに住むようになってからは、大学生活や音楽活動について、両親にそれほど話したことはなかった。一緒に暮らしていれば、雰囲気で悟ることもできたかもしれないけど、破天荒だった姉と違い、それまであまり親に「NO」を言ってこなかった僕が告げた言葉は、母にとっては寝耳に水だったと思う。
「音楽だけを続ける。就職活動はしない」
無論、母は反対した。僕には安泰な職業に就くか、公務員になってほしいと願っているのは知っていたから、当然の答えだった。「子どもには、きちんと就職して堅実な道を歩んでほしい」という親心だということは、冷静に考えれば理解できるが、「音楽は趣味で続ければいいじゃない」と、頭ごなしに否定されるのは釈然としなかった。あのとき、僕の中で燃えていたエネルギーの源はなんだったのだろうか。
一方で、父は寛容だった。自身も若かりし頃にフォークをかじり、おそらく歌い手を目指していた時期があったんだと思う。そんな父が、「きっとどうにかなるだろうし、どうにかならなければそのとき考えればいいじゃないか」というスタンスだったことが、僕にとっては救いだった。
「どうやって食べていくのか? 将来どうなりたいのか?」
母からそう問われても、このときの僕が、音楽活動に対して何か目標や夢を持っていたかと言えばそんなことはなく(今だってそれほど変わっていないのだけど)、まだまったく地に足がついてない状態のまま、好きな音楽を職業としてやっていくことはどういうことなのかを悩んでいた。
「好きなことや趣味を仕事にするのは良くない」
母はそうも言った。誰もが耳にする話だろう。大変さが身に染みている芸能人の方が、「子どもに芸能界を目指してほしくない」と言っているのも聞いたことがある。
そうは言っても、僕自身、好きなことを職業にしたらどうなるのかは未知だった。音楽を職にする難しさは置いておくとしても、自分にも好きなものを職業にする危うさは容易に想像できた。
ただ、どれだけのイメージをし尽くしても、音楽以外の何かを目指す自分の人生は見えなかったのを覚えている。どんな職にたどり着いても僕は、何かの壁に直面し、打ちのめされる瞬間に出会うだろう。だとすれば、自分自身を極限まで追い込むものがあったとしたら、それは自分がすべてを捧げられるものにしたいと強く願った。ここから鳴り続けるであろう音楽の未来を、まだ触れたことのない自らの鮮やかさを、つかみ取りにいかないという選択肢はなかった。何からも打ちのめされないさざ波のような人生を送ってきた僕が、自分自身が創り出すものにすべてを賭けることができたのは、何かが見えていたからか、見えていなかったからか。あのとき、僕は全脳内を音楽に懸ける覚悟を決めた。
「音楽だけに没頭したい」と夢みたいな夢を聞かされた母は、姉の言うことなら聞くかもしれないと、姉を僕のもとに差し向けた。
ドライな雇われスパイの姉は、「一応伝えてと言われたから言うけど」という、依頼人の意図を無視した前置きを経て母の願いを語りだしたが、姉自身、僕の将来に興味があるはずがない。なんだったら付属の大学を蹴ってまで行った大学を中退して、英語も喋れないのに突然イギリスに留学しに行ったファンキーな素質の持ち主(その後、英語を習得して現地の大学に入ったのは本当にすごいと思っている)は、むしろ〝僕側〞じゃないか。
思いの乗らないスパイの言葉が僕の心を揺さぶることはなく、そんな姉に対して僕は、たいした確証も持たないまま、「失敗する気がしないんだ」と生意気な一言を口走っていたらしい。ほとんど記憶に残らない弟の言動の中で、唯一覚えているのがこれだったらしいから、僕という存在からは相当かけ離れた思考が宿っていたのかもしれない。反抗期でもなんでもない、反対側から見たら純粋な思考はいつだって「反抗」のレッテルを貼られてしまうんだろう。
姉の前でとんでもない宣言をした頃の僕は、街中でふと流れる音楽を聴いて、「自分だったら、このメロディーの先をもっといいものにできるかもしれない」と、妙なことを考えていた。神様はあの頃の僕にアクセルを踏ませるため、「過信」というものをプレゼントしてくれていたのかもしれない。まだ「0」にもなっていない僕の人生を変えてしまう、とても怖ろしい贈り物を。
神様、ときどきでいいので、あのときの過信をまた貸してくれないでしょうか。
あの頃の自分よ、僕はまだ成功にも失敗にもたどり着いていない。
頭の片隅では、まだあの〝メロディーの続き〞を探し続けている。