バックパックを背負いながらアジア中心に世界各国を歩く旅行作家の下川裕治さん。新著の『10万円でシルクロード10日間』から旅の極意をご紹介します。
イスラム神学校の内部
海外への旅を前に、「言葉が......」と不安を募らせる人は少なくない。
しかし僕はそれほど不自由さを感じることなく、シルクロードの旅を続けてきた。
僕が操ることができるのは、片言の英語とタイ語だけだ。
シルクロード一帯で使われる言語はまったくといっていいほどわからない。
旅をスムーズに進ませるもの――それは言葉ではないと思っている。
表情や目の力、体からにじみ出るエーテルのようなもの......。
そんな言葉にならないものでコミュニケーションは成立していく。
それは値決めなどの交渉の場でも発揮される。
キルギスの首都ビシュケクからカザフスタンのシムケントまで列車で向かった。
シムケントに着いたのは深夜だった。このとき、僕はカザフスタンの通貨を一銭ももっていなかった。
シムケント駅は立派なつくりだった。
駅舎を出ると、幅の広い階段があり、その先にタクシードライバーが手ぐすね引いて待っていた。
まず両替をしたかった。
そしてホテルまで行かなくてはならない。
バスはもう走っていない時間帯だった。
僕の周りには10人ほどのドライバーが集まってきた。
深夜にふらっと降りたった外国人......。
彼らの目にはいいカモに映ったようだった。
タシケントのチョルスー・バザール。チョルスーとは交差点もしくは四方から道が交差する路
「チェンジマネー」
英語を口にしてみた。
皆、きょとんとした顔をしている。
彼らが期待していたのは、僕が発するホテル名だった。
しかし、僕が発した言葉は違った。
通じないようだった。
僕は仕方なく財布のなかから、20ドル札を抜きとった。
それを手に、「テンゲ、テンゲ」といった。
テンゲはカザフスタンの通貨である。
ここからドライバーたちはどう想像力を働かせるかがわからなかった。
あるドライバーは、タクシー代をドルで払っていいか、という意味と解釈するかもしれない。
あるドライバーは両替と理解してくれるか......。
ドライバーたちが話しはじめた。
客の意図を確認したかったのかもしれない。
僕は指と手を使って説明を繰り返した。
「駅を出て、チェンジマネー。そこからまた走ってホテル......」。
何人かが僕の意図を察してくれたようだった。
皆、表情が明るくなった。
これでやっと交渉ができる。
どのホテルに行くともいっていないのに、ひとりのドライバーがスマホをとり出し、そこに、「6000」と打ち込んだ。
6000テンゲということだろう。
それが高いのか、順当な運賃なのか、僕にはわからなかった。
そもそもテンゲのレートが正確にわからないのだから判断のくだしようがない。
ブハラの土産物店に並ぶ品々。
サマルカンドの象徴、レギスタン広場
ここからが勝負だった。
石の階段に腰をおろした。
僕を数人のドライバーがとり囲む格好になる。
黙っていた。
6000テンゲという運賃に同意もしなければ、値引きしようともしなかった。
ただ無表情で座る。
このとき焦って、自ら運賃を提示してしまう人がいる。
4000あたりとスマホで打ち込む人が多いだろうか。
すると運賃は中値の5000テンゲで決まっていく。
交渉というものはそんな流れになることが多い。
しかしドライバーはそれを読んでいる。
5000テンゲは一般のカザフスタン人より高い。
自ら運賃を提示すると、ドライバーの術中にはまってしまうのだ。
それを防ぐ方法......。
運賃を提示しないことである。
なにもしない。
英語を口にすることもしない。
これが僕流の値切り術である。
しかしこれはそれなりの精神力が必要になる。
ただ黙っているというのは、意外なほどにつらい。
双方で相手の心理を読みあっているのだが、その心理戦には忍耐力がいる。
それに耐えられたほうが勝者になる。
中央アジアのお土産。僕はいつも、このパンを買う。中央アジア特有の歯応えのあるパン。家族の間で株があがる
僕の心境は穏やかではない。
なにしろ相場を知らないのだ。
シムケント駅でタクシーに乗るのもはじめてなのだ。
その心の裡を読まれないように、表情を変えずに黙っている。
2分がたち、5分がたった。
いや、時間はもう少し短いかもしれない。
黙っている時間は、思った以上に長く感じるものだ。
ひとりのおばさんドライバーが、スマホを差し出した。
「4000」。
手を打った。
おばさんドライバーは、もう家に帰りたかったのかもしれない。
おそらく地元の人なら3000テンゲのような気がする。
外国人だから1000テンゲほど高いが、そのあたりは受け入れなくてはいけない気がした。
1000テンゲは、日本円にすると300円ほどだったことは、その後、両替してわかった。
しかし運賃は結局、6000テンゲになってしまった。
というのも、このとき、カメラマンが同行していた。
僕がタクシーの運賃交渉をしている間、彼はネットをつないでホテルを検索していた。
安いホテルが1軒あった。
そこへ行ってもらったのだが、かなりの距離があった。
やっと到着し、フロントに立つと、ネット上は空室があったのだが、満室といわれてしまった。
そのホテルはシムケントの郊外にあった。
再び街に戻ることになった。その運賃が加算されてしまった。
しかしその後も、僕はこの値切り術を実践している。
こちらからなにもいわず、ただ黙っている。
その間に、口にするのは、行き先だけである。
これが僕が辿り着いた交渉術でもある。
写真/中田浩資 デザイン/ohmae-d