歌人・伊藤一彦先生が紹介する「短歌のじかん」。今回は上田三四二の作品をご紹介します。
花は春も楽しみですが、秋もまたいいですね。というより、春夏秋冬、私達は花に喜びをもらっています。
花をとりわけ愛した歌人のひとりにアララギ派の上田三四二(みよじ)さんがいます。
上田さんが亡くなって今年で30年になりますが、いまでも私を含めて、多くの読者がいます。
『花に逢う』という名著がありますが、そのなかで上田さんはこう書いています。
花を待ち、花に逢いたいのは何故だろう。花が美しいから、というのはむろんだが、美しいだけが花を待ち花に逢いたい理由かと問うてみると、そうも言い切れない。花は美しい以上に季節のたよりであり、時のしるしである。それが人のこころを誘う。
上田さんが花を歌わずにいられなかった理由がひしひしと伝わってきます。さらに、歌を紹介します。
うらわかき 尾花をつつみ 降るのしづくして 花の穂のうなづきぬ 『遊行』
上田さんの優しい人柄が、そのまま植物の歌に表れています。雨が尾花を「つつみ」、「穂のうなづきぬ」の表現がそれにあたります。
気は澄みて すがるる野づら 葉ごもりに 茶の木の花は ゆふべほの白し 『遊行』
お茶の花は葉ごもりにあって目立たないことが多いのですが、上田さんはそんな地味な花を愛情深く歌っています。その上田さんは、死に近いベッドの上でも花を歌いました。
あはれみて 庭に摘ませし 犬蓼(たで)は 茎さへうすく べにさしてをり 『鎮守』
さむ土に ほととぎすなほ さきつぐと涙のにじむ ごときおもひぞ 『鎮守』
犬蓼やほととぎすの花と一体した上田さんの心を感じます。「時のしるし」の花を心の支えにした上田三四二さんでした。
<今月の徒然紀行16>
福岡県太宰府市で開かれた「万葉集」のシンポジウムに行ってきました。太宰府はいま令和の元号にちなんだ町ということで、多くの観光客で賑わっています。
シンポジウムのパネリストはそれぞれ自分の好きな万葉集の歌をあげていました。
額田王(ぬかたのおおきみ)はやはり人気があって、「熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」などの歌が話題になりました。
もちろん太宰府市ゆかりの大伴旅人(おおとものたびと)の「わが岡にさ男(を)鹿(しか)来鳴く初萩の花嬬(はなづま)問ひに来鳴くさ男鹿」なども語られました。
万葉の世にしばし思いを馳せた充実した時間でした。