至宝だらけの美術展開催中!ヨーロッパ随一の名門「ハプスブルク家」とは

日本・オーストリア友好150周年を記念して、国立西洋美術館で『ハプスブルク展』が2020年1月26日まで開催中です。ウィーン・ハプスブルク家、世界屈指の至宝に触れてみませんか?

至宝だらけの美術展開催中!ヨーロッパ随一の名門「ハプスブルク家」とは 1911p008_01.jpgディエゴ・ベラスケス《 青いドレスの王女マルガリータ・テレサ》 1659年 油彩 カンヴァス/
ウィーン美術史美術館 Kunsthistorisches Museum,Wien

約100点の展示で名門家の歴史を垣間見る

2020年1月26日(日)まで開催中の「ハプスブルク展」。

フランツ・ヨーゼフ1世が建設した「ウィーン美術史美術館」の協力のもと、絵画や工芸品など、ヨーロッパ随一の名門・ハプスブルク家が築いた世界屈指のコレクションと、その関連作品を加えた計100点が展示されています。

神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が礎を築いた数百年に及ぶコレクションは、時代ごとの特色などによって彩られた作品群です。

「自分の趣味嗜好に従って収集を行った人もいれば、時代状況を利用して大量の作品を入手した人もいて集め方も人それぞれです。が、いずれにしてもハプスブルク家の地位があってこそのことです」と、国立西洋美術館の学芸課主任研究員・中田明日佳さん。  

マリア・テレジア、マリー・アントワネット、皇妃エリザベトなど、物語などでよく知られた登場人物も多いハプスブルク家。美術ファンならずとも興味深い展覧会です。
「人物に注目して見ても、コレクションの歴史から見ても、それぞれ特徴があって面白いと思います」 (中田さん)

驚異の蒐集の数々から、名門家の生きた時代の息づかいを感じられそうです。

ヨーロッパ随一の名門・ハプスブルク家とは?

13世紀末にオーストリアに進出。以後、同地を拠点に広大な帝国を築いた名門王家。15世紀以降は神聖ローマ皇帝の位を世襲し、その後継として誕生したオーストリア帝国を統治した。数世紀にわたって広大な領地と多様な民族を支配し、ヨーロッパの中心に君臨し続けました。

驚異の一族の蒐集の歴史をたどる! 至極のコレクション

【ハプスブルク家のコレクションの始まり】

コレクションの礎を築いたのは、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世(1459-1519)。また、大公フェルディナント2世(1529-1595)の熱心で大規模な蒐集がコレクションの構築に重要な役割を果たしました。

至宝だらけの美術展開催中!ヨーロッパ随一の名門「ハプスブルク家」とは 1911p009_01.jpgロレンツ・ヘルムシュミット《 神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の甲冑》 アウクスブルク、1492年頃 鉄、鍍金された真鍮、皮革/ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum,Wien

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《角杯(グリフィンの鉤爪)》 北ドイツ?、15世紀初頭 角、鍍金された銀の台/ウィーン美術史美術館 Kunsthistorisches Museum Wien

【ルドルフ2世とプラハの宮廷】

稀代のコレクターであったルドルフ2世(1552-1612)は、プラハの宮廷を起点として大規模なコレクションを築きました。欲しいものを手に入れるためにはあらゆる手段を使い、手に入るまで粘り強く交渉したといわれています。

至宝だらけの美術展開催中!ヨーロッパ随一の名門「ハプスブルク家」とは 1911p009_03.jpgヨーゼフ・ハインツ(父)《神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の肖像》 1592年頃 油彩/銅板
ウィーン美術史美術館 Kunsthistorisches Museum,Wien

【コレクションの黄金時代】

■スペイン・ハプスブルク家とレオポルト1世

16世紀半ば、オーストリア系とスペイン系に系統分裂したハプスブルク家。親戚づきあいする両家間では近況を知らせるために肖像画を利用。スペイン・ハプスブルク家からウィーンの宮廷へと、宮廷画家・ベラスケスによる作品が送られました。

■フェルディナント・カールとティロルのコレクション

ティロルの統治者でオーストリア大公のフェルディナント・カール(1628-1662)は重要なコレクターの一人。

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フランス・ライクス《 オーストリア大公フェルディナント・カールの肖像》 1648年頃 油彩 カンヴァス/ウィーン美術史美術館 Kunsthistorisches Museum,Wien

■レオポルト・ヴィルヘルム

芸術を愛したネーデルランド総督大公レオポルト・ヴィルヘルム(1614-1662)は、解体した王侯貴族の絵画などを大量に蒐集し、コレクションを充実させたコレクターです。

至宝だらけの美術展開催中!ヨーロッパ随一の名門「ハプスブルク家」とは 1911p009_05.jpgヤン・ブリューゲル(父)《 堕罪の場面のある楽園の風景》1612~13年頃 油彩 板/
ブダペスト国立西洋美術館 Szépművészeti Múzeum/Museum of Fine Arts, Budapest

【18世紀におけるハプスブルク家と帝室ギャラリー】

コレクションを集めたギャラリーの整備が進んだ18世紀は、マリア・テレジア(1717-1780)、その末娘マリー・アントワネット(1755-1793)など、ハプスブルク家にとって激動の時代でもありました。

至宝だらけの美術展開催中!ヨーロッパ随一の名門「ハプスブルク家」とは 1911p009_06.jpgマルティン・ファン・メイテンス(子)《皇妃マリア・テレジアの肖像》1745-50年頃 油彩/カンヴァスウィーン美術史美術館 Kunsthistorisches Museum,Wien

至宝だらけの美術展開催中!ヨーロッパ随一の名門「ハプスブルク家」とは 1911p009_07.jpgマリー・ルイーズ・エリザベト・ヴィジェ=ルブラン《 フランス王妃マリー・アントワネットの肖像》1778年 油彩 カンヴァス/ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum,Wien

【フランツ・ヨーゼフ1世の長き治世と18世紀におけるハプスブルク家と帝室ギャラリー オーストリア・ハンガリー 二重帝国の終焉】

約70年にわたって君臨し、オーストリア・ハンガリー二重帝国を象徴するフランツ・ヨーゼフ1世(1830-1916)と、その妃エリザベト(1837-1898)。帝国は第一次大戦の敗戦で崩壊し、ハプスブルク家も終焉を迎えます。

至宝だらけの美術展開催中!ヨーロッパ随一の名門「ハプスブルク家」とは 1911p009_09.jpgクロード・ビズアール《オーストリア=ハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1 世のフリントロック式ピストル》マルセイユ、1857年 鉄、彫金、鍍金、金象嵌、木材、金、銀、 イエローダイヤモンド、金糸と赤い絹糸の紐/ウィーン美術史美術館 Kunsthistorisches Museum,Wien

至宝だらけの美術展開催中!ヨーロッパ随一の名門「ハプスブルク家」とは 1911p009_08.jpgヨーゼフ・ホラチェク《 薄い青のドレスの皇妃エリザベト》1858年 油彩 カンヴァス/
ウィーン美術史美術館 Kunsthistorisches Museum,Wien

取材・文/鹿住恭子

 
この記事は『毎日が発見』2019年11月号に掲載の情報です。

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