ペンネーム: 折り鶴
性別:女
年齢:54
プロフィール:私の成人式当時、父は失踪し兄弟は外泊。母と2人だけで過ごしました。着物には母の思いがいっぱい詰まっています。
私には兄と姉がいますが、2人とも成人式のお祝いをしていませんでした。
理由は、2人ともいい加減な性格で、成人式の日に家にいなかったから。
兄は堅苦しい場所が嫌いでした。さらに、母親のことをみっともない存在だと思っていたので、何日も前から友達の家に泊まって行方をくらましていたのです。
姉は成人式の日、朝早くからお化粧をしていたので、私が「今日は成人式でしょ?」と声をかけると、「そんなの誰が行くの」と笑って、デートだと出ていってしまいました。
母は、兄の時も姉の時もレストランを予約し、晴れ着を準備したのに実現することができず、とても残念そうにキャンセルしていました。
そんなことがあったので、私の時は絶対に成人式をやろうと決めていたのでしょう。成人式の日には朝5時くらいに起きて、私が逃げ出さないように見張っているようでした。
その後は美容院に連れていかれ、私はまるで着せ替え人形のように着物姿にされました。兄や姉の時には衣装をレンタルしていたようでしたが、私の時には安い着物を購入したと喜んでいたのが印象的です。
多くの人達は、成人式と言えば地域の会場に向かうのでしょうけれど、写真屋さんで写真撮影をした後は、母と二人で旅行に行きました。おそらく、母の夢の一つだったのでしょう。美容院もその日の昼食も、旅行についても、すべて母が一人で予定を組んでいたようで、母の決めたスケジュール通り無事に進んでいきました。
父はかなり前から失踪しており不在でしたし、兄も姉も家族旅行を嫌っていたので、成人式の旅行は母と2人だけ。私は早く着物を脱ぎたかったのですが、母は私の成人式を自慢したかったのか、旅行先のホテルまで着ていかなければなりませんでした。所々で知らない人から「あら、成人式? おめでとうございます」と声をかけられ、その度に母が嬉しそうに答えていました。
ホテルに着くと、ホテルの庭園で随分たくさん母に写真を撮られました。しっかりと帯を締めてもらったので、昼食はあまり食べられないし、息が苦しく、もう疲れはピークに達していました。部屋で着替えた時には、もの凄い解放感を感じる事ができました。その後は2人で温泉に入り、ゆったりとした気持ちで夕食の時間を待ちました。
そして、母がどれほど私の成人式を楽しみにしていたかは、夕食の時に知ることができたのです。夕食はホテルの大ホール。中央のステージではバンド演奏が入り、ハスキーな声の歌手が素晴らしい歌声で歌っていました。そんな音楽を聴きながら、正面に座っていた母に話しかけようと振り返った時、母は目にいっぱい涙をため、私を見つめていたのです。私は気付かないふりをして母に話しかけましたが、泣いたことのない母の涙にビックリしました。
成人式に着た着物は、色も柄も帯も私の好みではなく、着ている時の帯の苦しさが記憶に残っているのですが、それと共に、母の涙が一生の記憶として刻まれました。母がどのような思いで成人式を楽しみにしていたのかは分かりませんが、母が喜んでくれたのならそれで嬉しく思います。その後、母は何度も成人式の写真を引っ張り出してきて、色んな人たちに見せて楽しんでいました。
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。