雑誌『毎日が発見』で連載中。医師・作家の鎌田實さんの「もっともっとおもしろく生きようよ」から、今回は鎌田さんが「人生の自由」について語ります。
人生には、何度となく困難が訪れます。病気や障害、災害、失業、親しい人との離別...。幸せな人生とは、こうした困難がない人生ではありません。困難があっても、自分で選びとっていく自由を手放さない生き方が、「幸せ」につながるのだと信じています。
体は不自由でも、心は自由に生きられる
ぼくが往診をしている患者さんに、脳幹梗塞の男性がいます。手足を動かすことができず、しゃべることもできません。自分の思いや考えを表現することが難しいため、こうした障害を「閉じ込め症候群」と呼ぶことがあります。
しかし、大脳皮質は障害を受けていないので、物事を考えたり、感動したりという心の営みは健常に保たれています。ある日、ぼくが往診に行くと、壁に貼られた不思議な紙に気づきました。
「パイン みそ汁 あんパン せんべい 甘酒 レーズン」
なんだろう、と思いました。
何度も声に出して読んでみると、リズムがついてきます。それで、ぼくはハッと気づきました。
「まるで山頭火だ!」
単語の羅列に見えたものは、自由律俳句だったのです。口からは食べることができない彼が、食べたいものの名前を、まるで味わうように詠んだのでした。
彼は、わずかに動く目で、返事をしたりします。パソコンのコミュニケーション補助具を使えば、自分の思いを文章にすることもできます。こんな句もありました。
「ああ飽きた 寝たきりに飽きたどうしよう」「桜散り 無為に時間がたつを知る」「いろいろな 出会いがあって 生きている」
絶望的な状況にある自分を客観視し、どこか笑い飛ばすようなユーモアが感じられます。体は不自由だとしても、心は自由に生きられるということに、とても感動しました。
寝たきりでも、まるで山頭火のように負けない生き方。
自分で決めるからこそ、自分らしく生きられる
人間の強さとはどういうことをいうのでしょうか。ぼくはどんな状況でも、人任せにしないことだと思っています。人生は思い通りにはいかないものですが、そのなかでもできるだけ自分で考え、自分で選択することが、後悔のない人生につながるように思います。
今年の初夏、北陸から80代の男性が、諏訪中央病院のぼくの外来にやって来ました。がんが体中に転移し、主治医から抗がん剤治療を提案されていましたが、その治療を受けるべきかセカンドオピニオンを求めに来たのでした。
「よくこんな遠くの病院まで来てくれましたね」と、ぼくは話しかけました。すると、男性はうれしそうにこう言いました。
「いや、楽しい旅でした」
話をよく聞くと、家族三世代10 人とともに北陸を出て、一日目は海の見える旅館に泊まったといいます。二日目は、諏訪湖のほとりのホテルに宿泊。
「今度は山の料理をおいしくいただきました。本当に楽しい、楽しい旅でした」と男性は穏やかに笑います。
ぼくは本題に入りました。
「自分の命は自分で決めたほうがいいとぼくは信じています。あなたは自分のなかで、すでに答えを出しているのではないですか」
男性はニヤッと笑い、こう答えました。
「息子が私のことを一生懸命考えてくれる、そう思うと答えがぶれるんです。でも、もう満足しています。十分生きたと思っています。残された時間は抗がん剤治療で苦しむのではなく、この二日間のようにもっと楽しい時間を過ごしたいと思っています」
ぼくは、付き添っている息子さんにも考えを聞きました。
「自分だったら、これ以上、新しい治療を受けなくていいと思っています。ただオヤジのこととなると簡単に結論を出せず、迷い続けていました。でも、いまのオヤジの言葉を聞いてよくわかりました。オヤジの命はオヤジが決めればいい、納得しました」
迷いの霧が晴れたように、2人とも、すがすがしい顔になっていくのがわかりました。
ぼくは、外で待っているほかの家族にも診察室に入ってもらい、男性の考えを伝えました。
「これからいろんなことがあるけど、おじいちゃんが決めた生き方をみんなで守ってあげましょう」
最後に「いい人生だった」と言える幸せ
最近、この北陸から来た家族のことを思い出すような映画を見ました。『ガンジスに還る※』というインドの映画で、2018年10月27日から上映されています(※東京・神田神保町の岩波ホール他で全国順次公開)。
物語は、死を予感した父親がガンジスの聖地バラナシにある「脱の家」に行こうとするところから始まります。死を待つ家です。
バラナシには、高度医療を受けられる大学病院もありますが、その一方で「解脱の家」のようなところもあります。大事なことは、どういう最期を望むのか自分で選択するということです。
映画では、父親を一人で行かせるわけにはいかないと、ビジネスマンの息子が付き添います。この父子のやり取りがとてもユーモラスで、映画の魅力の一つにもなっています。ラストシーンの、亡くなった父を息子や知人が担ぎ、太鼓と歌で送る様子は、まるでお祭りのようでした。
人生は一度だけのお祭りです。「ああ、おもしろい人生だった」と最後に言えるようにするためにも、心の自由を大切にしたいものです。