井上弘美先生に学ぶ、旬の俳句。9月は「味わいのある季語」というテーマでご紹介します。
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今生のいまが倖せ衣被 鈴木真砂女(まさじょ)
「衣被(きぬかつぎ)」は小さい里芋を皮のまま茹でて塩味で食べるもの。季節感ある食べ物で、中秋の名月の供え物に欠かせません。
作者のドラマチックな人生はよく知られています。夫の失踪、急逝した姉の夫との再婚、女将として継いだ老舗旅館の全焼、海軍士官M氏との恋、家出による上京、そして銀座で小料理屋「卯波(うなみ)」を開店。この句は八十歳になっての感慨で、自分の手で運命を切り拓いた人の、前向きな人生観が伝わります。
作者は一九〇六年、千葉県生まれ。読売文学賞、蛇笏賞などを受賞し一時代を築きました。二〇〇三年没。享年九十六。
重箱を開け月かげを溢れしむ 伊藤伊那男(いなお)
夜に開く「重箱」ですから、月見の宴でしょう。家族や仲間が集まっての和やかな一時が思われます。
この句の「月かげ」は月の光という意味で、影ではありません。「重箱」を開いた瞬間、月光が差し込んで、彩り美しく詰められた料理が輝きを放ったのです。重箱の黒く艶めく様子も想像できます。それを、重箱を開いて月の光を溢れさせる、と詩的に表現したのです。「しむ」は「~させる」という意味で古典的な響きに品格があります。
作者は一九四九年、長野県生まれ。「銀漢」主宰。近刊句集『然々と』よりの一句です。