撮影現場で誰よりも檄(げき)を飛ばし、名作映画を盛り上げてきた名キャメラマン、木村大作さん。60代後半で映画監督に転向した木村さんの3作目の監督作『散り椿』が9月28日(金)から公開されます。キャメラマンから映画監督に転向したのには、どんな経緯があったのでしょうか。
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大切と思えるものに出会えれば、それだけで幸せ
――そもそも『散り椿』を最初に読まれたご感想は?
木村 「大切と思えるものに出会えれば、それだけで幸せだと思うております」という篠のせりふが俺の人生と同じだなと思ってね。黒澤明や高倉健、すごい人たちに出会ったおかげで今の俺があるから。そうやって突き動かされる一言がないと、俺は映画が撮れないんだよ。そういう意味では、正直な映画づくりをしているね。
――健さんとご一緒されて。
木村 『八甲田山』からの付き合い。高倉健という人間性を大切に演じた人で、役を超えていた。健さんは「自分ならこのせりふは言わない」と台本を変えるんだよ。若い頃はわからないけれど、俺が知っている『八甲田山』以降はそうだったね。そこに誠実だからトップスターなんだろうね。
――黒澤監督との思い出は?
木村 黒澤さんには撮影助手の頃、よく怒られていたけど、俺がキャメラマンになってからは、例えば『夜叉』(1985)を観てね、「これ誰が撮ってるんだ? 大作か。あのやろう、すごいキャメラマンになったな」と言ってくれたと聞いて、涙を流したよ。30歳違うから、子どもだよね。俺はあの人を見ているだけだったんだけど、あの人を見ていたから今の俺があると思うね。見るってことがいかに大切か。俺はそうだったな。
自分で企画して監督すればいいんだと気づいた
――お若い頃に東宝に入社されてキャメラマンになられたのは、偶然だったそうですね。
木村 そうだよ。入社試験でボイラー室勤務でも大丈夫かって聞かれたから、結構ですって答えて。俺、長男なんだよ。お父さんが死んじゃってさ、下に3人も弟がいるから、働かなきゃという気持ち一心だったよね。
――当時は、日本映画が活況だった時代ですね。
木村 そう。観客動員が12億人を超えていた。今は1億7千だよね。だから、撮影所に人が足りなかったんだよ。入社試験を受けたら、筆記はできないけれど、昔からこんな感じでおしゃべりだったから、試験官とわーわー言っているうちに、「君、元気だね」って(笑)。
――それで配属されたのが、撮影のお仕事だったのですね。
木村 撮影所の撮影助手。それで、いちばん最初についたのが黒澤明の『隠し砦の三悪人』(1958)。そこが運命の分かれ目だよ。黒澤さんとの出会いが、よし映画やろう!と思ったきっかけだから。人生の大恩師だよね。
――その後、数々の名作のキャメラマンを務められて、木村さんは60代後半で映画監督に転向されます。
木村 なかなかいないよね、そんな人(笑)。ずっとキャメラマンをやってきたけれど、撮影現場であまりにもガーガー言いたい放題だから、若い監督たちに怖がられて売れなくなって(笑)。ならば、企画から考えて自分で監督すればいいんだと。
――現在79歳。ますますご活躍ですが、年齢を重ねることは?
木村 きれいな女の人に対する気の迷いがなくなって、ますます映画一筋(笑)。自分の人生でうまくいかないから、こういう愛の物語が撮りたくなるんだろうね(笑)。大人の女性が楽しめる映画になったと思うよ。
取材・文/多賀谷浩子