月は春夏秋冬で味わいがありますが、俳句では「秋」の季語となっているように、秋の月は澄んだ大気の中で格別の美しさを感じます。月を深く愛した歌人に西行法師がいます。
ゆくへなく
月にこころのすみすみて
果(はて)はいかにかならむとすらむ
『山家集(さんかしゅう)』の「秋」に収められている有名な歌です。訳は「月をながめる自分の心は月の澄むごとくどこまでも澄んでゆき、そのゆきつく果(は)ては一体どのようになってしまうことであろうか」(『新潮日本古典集成 山家集』後藤重郎 校注より)。
月の澄んだ光に身も心も奪われて立ちつくす西行法師の姿が目に浮かびます。現代人は忙しい生活を送っていますが、時には夜空の月を仰いでみると、心が澄んだ別の自分を発見できるかもしれません。
私もよく月を仰ぎます。じつはこんな歌を40代のころに詠んだことがあります。
月恋(つきごひ)の年年にまさる
なかんづく
誕生日の九月の白光(はくくわう)
歌集『森羅の光』に収められている作で、私が月に心魅かれるのは中秋の名月のころに生まれているからかもしれません。
宮崎県の最南端の串間市に住んでいたことがあります。長浜という美しい海岸があり、中秋の名月のときには仲間たちと連れだって重箱を抱え焼酎を提げてその浜に出かけました。そして、暮色濃くなるころに流木を集めて火を焚き、岩かげから月が上ってくるのを待ったものです。月の姿が見えると、皆で喚声をあげました。
私の月恋はもちろん今も続いていますが、私など比べものにならないほどの月恋の歌を小島ゆかりさんは詠んでいます。
雨の夜の月こそあやし
月を恋ふこころはやがて
月を身籠もる
『馬上』
見えない雨夜の月をおびきよせ一体化したという歌です。
<今月の徒然紀行2>
清酒発祥の地として名高い兵庫県伊丹市に行ってきました。今年は若山牧水没後90年で、牧水をあらためて偲ぶ短歌セミナー「若山牧水― 酒と旅と人生」が開かれたからです。なぜ伊丹で?と思われる人も多いと思いますが、伊丹の銘酒・小西酒造の「白雪」を牧水が深く愛した縁からです。その証拠に牧水は「白雪」の名を詠みこんだ歌を七首も残しています。
「酒の名のあまたはあれど今はこはこの白雪にます酒はなし」
「手に取らば消けなむしら雪はしけやしこの白雪はわがこころ焼く」
などです。名も味もほめたたえています。当日はセミナーの後、試飲会があり、私もいただきましたが、さすが豊かな味わいに満足。