『毎日が発見』本誌で連載中の哲学者・岸見一郎さんの「老後に備えない生き方」。今回はその13回目を掲載します。テーマは「変化を恐れない」。
万物は流転する
鴨長明(かものちょうめい)の『方丈記』(鎌倉時代を代表する随筆)は、
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」
で始まるが、私はこれを読むと、古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスの「同じ川には二度は入れない」という言葉を思い出す。
ヘラクレイトスはまた「万物は流転する」ともいっている。川は絶え間なく流れていく。同じ川に入ったように思っても、川も人も前とは違う。人もまわりの世界もこのように不断に変化し、同じままであり続けることは決してない。
このような変化に気づかないことがある。変化に気づかないほど毎日を穏やかに過ごせることはありがたい。そのような日の川の流れは静かで緩やかである。
しかし、長い人生、いつも順風満帆で穏やかに過ごせる日ばかりではない。当然くると思っていた明日という日がもはやこないのではないかと思うほど絶望することもある。それでも、今までこうして生きながらえたことをありがたいと思う。
変化をどう受け止めるか
たとえ自分は動かないでじっとしていようと思っていても、まわりの世界は変わる。まわりの世界が変われば自分も変わる。そんな世界にあって変化を恐れ、変化に抵抗しようとする人がいる。
第一子として生まれ育った人には変化を望まない人が多い。生まれてしばらくは親の愛情、注目、関心を独占し、王子様、王女様のようにまわりから大事にされていたのに、ある日、もうすぐ弟、妹が生まれてくると親から告げられる。
親は当然「これまでと同じようにあなたのことを大切にする」というようなことをいうのだが、弟、妹が誕生すると、親がもはや前と同じ親ではないことに気づくのに長くはかからない。「今日から自分でできることは自分でしてね」というようなことをいわれるのである。かくして、ライバルの出現と共に、第一子は王座から転落する。
このような経験をした人にとって、変化はいつも悪い方への変化なので、概して保守的になり、変化を恐れることになる。
しかし、このように自分の人生にライバルが現れたことで自分の境遇が変化したからといって、誰もがそのことを悪いことだと考えるわけではない。親から過剰な注目がされなくなって清々したと考える人もいる。そのような人にとって弟や妹はライバルではない。ライバルではないから競争しようとも思わない。
このように、自分や自分のまわりに何か変化が起こった時、それを自分にとってよくないことだと見るのは一つの意味づけの仕方ではあるが、それが唯一絶対のものではないことを知っていなければならない。
変化を自分にとってよいことだと意味づけることもできる。また、何の意味づけをしないこともできる。つまり、変化はただ変わるということであって、それに対して、よい、悪いという意味づけをしないということである。現状が変化したからといって、自分にとってよくないことが起こったと考える必要はなく、ただ変化したという事実を受け入れるだけでいい。
ところが、ただ変わることであるとは思えないことがある。老いと病気である。これらの変化を受け入れることは難しい。
老いは緩やかな変化なので受け入れることはできるかもしれないが、病気のために突然身体を動かせなくなったり、言葉を思うように発せなくなったりすると、そのような変化を受け入れることは容易ではない。
生きることは進化することなのか
アドラー(アルフレッド・アドラー。1870~1937年、オーストリア出身の精神科医、心理学者)が次のようにいっている。
「すべての人を動機づけ、われわれがわれわれの文化へなすあらゆる貢献の源泉は、優越性の追求である」(『人生の意味の心理学』)
人は生まれた時は無力であり、自力では何もできない。親をはじめとするまわりの大人の手を借りなければ片時も生きていくとはできない。人はこのような無力な状態から脱したいと思より優れようとすることを「優越性の追求」と呼んでいる。
問題は、これに続いてアドラーが次のようにいっていることである。
「人間の生活の全体は、この活動の太い線に沿って、即ち、下から上へ、マイナスからプラスへ、敗北から勝利へと進行する」
さらにアドラーは、人生は目標に向けての動きであり、「生きることは進化することである」ともいっている。 アドラーがいっていることに問題があると私が考えるのは、人間の生活が「下」「マイナス」「敗北」から「上」「プラス」「勝利」へ進行することであり、生きることが進化であるとすれば、より優れようとする人は、目下「下」「マイナス」「敗北」の状態にあるということになるからである。
哲学者の鶴見俊輔(1922~2015 年。戦後を代表する評論家、哲学者。1965年にベ平連を結成、2004年には九条の会の呼びかけ人となる)は、病気になる前も後も言葉遣いを変えなかった医師について、次のようにいっている。
「患者を、病気になっているといういちばん低いレベルで見ていないということですね。患者になったとしても、その人間の高いレベルでの姿勢を記憶から削がないということが重要なんですね」(『鶴見俊輔 いつも新しい思想家』)
病気の前後で言葉遣いを変えないということは当たり前のことだと私は思うのだが、認知症を患っていた私の父に看護師さんが「えらかったね」とほめるのを聞き驚いたことがあった。ただ、身体を拭いてもらう時にじっとしていただけなのに。父がかくしゃくとしていたら看護師さんは決してそんな言葉遣いをしなかっただろう。
今、問題にしたいのはそのことではなく、鶴見が「病気になっているといういちばん低いレベル」といっていることである。病気の時、人は「いちばん低いレベル」にいるのではない。病気をこのように見るのは、何かができることに価値があると見るからで、そうすると、健康であることがプラス、病気になって何もできないことがマイナスということになる。
病気になれば健康になりたいと思う。そのために治療を受け、薬を飲み、リハビリに励む。それをアドラーは優越性の追求というのだが、二つの問題がある。
一つは、治療がマイナスからプラスを目指すことであれば、今の病気の状態はマイナスであるということである。もう一つは、回復が望めない病気であれば、治療を受けてもリハビリをしても無意味になることである。
しかし、病気である状態は「下」「マイナス」「敗北」ではない。ただ病気という状態にあるだけで、健康な状態と比べて劣っているわけではない。病気をマイナスと見るとすれば、何かができることがプラス、できないことがマイナスと見ているからだが、何もできないことは価値がないわけではないように、病気であることもマイナスであるわけではない。
老いについても、若かった時をプラスと見れば、老いた今はマイナスになる。私の父に「えらかったね」と声をかけた看護師さんには、母と二人で写っている若い頃の父の写真を見せた。その写真を他の看護師さんらにも見せたことがあるが、「イケメン」の父の写真を見ると、一様に、私とは似ていないといわれた。
それはともかく、父の写真を見せたのは、父は、今は老いて弱々しいけれどもかつては若く元気な時があったことを知ってほしかったからではない。今、目の前にいる父にはいわば歴史があって、若い時から今に至るまでのその時々の父は最善だったということを知ってほしかったのである。今だけを人生の他の時期と切り離し、今がマイナス、低いレベルとは見てほしくなかった。