日本人は、なぜ「死」と真正面から対峙せず避けて通ろうとするのか。作家の曽野綾子さんが、そんな疑問を投げかけた『納得して死ぬという人間の務めについて』が1月に文庫化されました。曽野さんと親しかった作家の父を持つエッセイストの阿川佐和子さんと内藤啓子さんは、この本をどう受け止めたのでしょうか。おふたりがこれまで体験した死をもとに語り合います。
内藤 私と妹のなつめ(元宝塚歌劇団トップスターの大浦みずきさん)は、幼い頃から曽野さんと夫の三浦朱門さんにとてもかわいがっていただいたんです。それで妹が亡くなったとき、ご報告のために電話をしたら、曽野さんは「それはお幸せでしたね」とおっしゃった。「えっ!?」と思いました。こういう場面では大抵の方はお悔やみを述べられるので。でも曽野さんは「戦時下ではなく、屋根のあるところでお医者さんに診てもらえたのだから」とおっしゃって。それで私も「確かにそうだな」と納得した記憶があります。
阿川 曽野さんは「理」の人なんですね。
内藤 やはり戦争体験も大きいのでしょう。一夜にして焼け野原で、大切にしていたものを失うという経験がおありですから。この本にはご自身のことを「諦めのいい性格」だと書いていますね。
阿川 曽野さんは精神性も高いけれど、「たとえ夫婦であっても自分を犠牲にしてまで看病することはない」とか、すごく正直。そういうところはカッコいい!
内藤 お会いすると、お書きになる文章そのままの方という感じがしていました。ただ曽野さんも30代の頃は不眠に悩まされうつっぽくなられていた時期もありました。そんなところもあるんだ、と子どもながらに思った記憶があります。それでご夫婦は本当に仲が良くて。
阿川 おふたりの会話は途切れたことがないのね。63年間、毎日しゃべりました、って。
内藤 曽野さんはこの本の中で、三浦さんがお棺の中に一番入れてほしかったのは、私だったろう、と書いていらっしゃって、そう言い切れるのもすごいことです。
阿川 三浦さんが逝かれたときのシーンも印象的ですよね。曽野さんがシャワー浴びているほんの数分の間だったと。その描写にも三浦さんへの愛情を感じました。
内藤 あのシーンはとてもいいですよね。
内藤さん(左)と阿川さん(右)は、幼稚園から小学校にかけての4年間を同じ団地で過ごしました。
阿川 父・阿川弘之の最期は、少しずつ食欲が落ちて弱っていくという完璧な老衰でした。父の最期を見届けることはできませんでしたが、その5年後に母が同じ病院で危篤になったときは、亡くなるまで7時間一緒にいたんです。弟と心拍モニターを見ながら、息を引き取った瞬間まで見届けたとき、不思議と涙は流れませんでした。私は母のことが大好きだったのに。看取るってこういうことなんだと思いましたよね。だんだん、だんだん違う世界へ行ってしまうのを見送ると、納得できる。
内藤 死ぬ瞬間て本当にスーッて。ああ、逝ったなあって。
阿川 「あれ? ほんと?」「母さん?」って。
内藤 私の夫は、佐和子ちゃんのお父様が亡くなられた次の日に急逝したんです。
阿川 突然でしたよね。曽野さんにとっての三浦さんのように、亡くなった後に愛が深くなりました?
内藤 どうかしら(笑)。私は両親を看取った経験から延命治療は必要ないことや認知症になったら入院したい病院について、息子たちに伝えています。
阿川 私は、大切な人を看取る経験を経て自分の死のことを具体的に考えるようになったかというと、実はそうでもなくて...。この本も、絶対的なバイブルと身構えるのではなく、なんとなく耳に残しておきたいですよね。きっと後々役に立つはずです。
※対談の全文は、下記の文庫『納得して死ぬという人間の務めについて』に掲載しています。
文/今泉愛子