8月から上演のミュージカル『ピピン』に出演される前田美波里さんに、同作品のこと、日々の生活のこと、そして彼女が切り拓いてこられた人生についてお話を伺いました。
生きがいである舞台との出合い
――8月から上演のミュージカル『ピピン』に、2019年の日本初演に続いて出演されます。
私自身、待ちに待った再演です。
本当にすてきな作品ですし、年齢がすすむと、体が言うことを聞かなくなったりしますから。
サーカス団が舞台のお話でアクロバティックな場面もあるので、もちろん鍛えてはきましたけど、怖いですよね、年齢的にこの程度しかできなかったらって考えると。
でも、それも私だし、と思うことにしています。
年をとるというのは未知との遭遇。
でも、だから面白いんだって。
周りの女優さんには、まだやるの? って言われるのですが、コロナ禍で舞台がストップした時、舞台がないと何のために生きているか分からないということを痛感したんです。
舞台に立てるから幸せで生きていけるんだって、あんなに感じたことはなかったですね。
年齢が来ると舞台を下りて映像に行く人が多いけれど、私は舞台をやり続けたい。
『ピピン』で演じるのはバーサという主人公ピピンのおばあさんなんです。
一人の王子が人生に満足できず、生きる意味を探し続けているところに「人生は待っていても何もやって来ない。自分で切り拓かなければ」と伝えるすてきな役。
演出家のダイアン・パウルスさんというエネルギッシュな女性が自ら資金を集めて、まさに自分で切り拓いて上演した作品なので、この時代に皆が元気になれる舞台だと思います。
ぜひ劇場で観ていただきたいですね。
――舞台に出合ったのはいつぐらいですか。
始まりは中学時代のダンス部です。
曲も衣装も考えて主役をして、お客さんに拍手をもらった時に「最高! やめられないわ」って。
そして15歳の時、著名な劇作家である菊田一夫先生の『ノー・ストリングス』という舞台のオーディションを受けたら、1位をいただいてしまって。
それがこの世界に入ったきっかけです。
最初は映画に出演させられたりして、嫌でしたね。
自分がいちばん嫌いな大きな鼻が大映しになるんですから。
正直者だったので、映画は嫌だと言ったら、徐々にお話をいただかなくなりました。
でも言ってよかったと思っています。
その時に嫌だと言ったから、舞台をやらせていただけているいまがあると思いますから。
ただ、その後、すぐに舞台に出られたかというと、なかなかそうもいかなかったですね。
若い頃からずっとミュージカルをやりたいと言い続けていましたが、当時、日本にはなかなかミュージカルが定着しなくて。
その代わり、当時はレビュー(編集部注:時事的な社会風刺の意味合いを持つ、歌とダンスによって構成される視覚的な舞台)を上演する劇場がたくさんあったので、レビューに出演して生活していました。
レビューも好きでしたよ。
今回のバーサの登場シーンは衣装もダンスもレビューのような感じなので、こんな形で当時の経験が生きてくるなんて人生で無駄なことは何一つないんだなと思います。
「息子には時々〝そろそろラクな仕事をしなさい"と怒られるけど、そうしたら、私が私でなくなってしまう。『ピピン』でバーサが歌う曲の歌詞にもあるんです。〝月日に逆らうだけ"って。本当にその通りだなと思うんですよ。夢中でやっていると時々、自分の年齢を忘れますから」
自分で切り拓く人生
――その後、劇団四季の『コーラスライン』のオーディションを受けられたそうですね。
1979年に『コーラスライン』が上演されて、その後の『キャッツ』でやっと日本でもミュージカルというものが認知された頃かと思いますが、実は『コーラスライン』のオーディションは一度、不合格になっているんですよ。
でも自分からお願いして、お稽古だけでもと通わせていただきました。
他の仕事は「どうしてもやりたい舞台があるので降ろさせてください」と頼みました。
そのぐらいの覚悟がないと、女性がやりたいことができる時代ではなかったんですよね。
『ピピン』ではないけれど、自分で切り拓く人生です。
結果的に『コーラスライン』に客演で出演させていただくことになりました。
私が演じたシーラという役は当時の私とたまたま同じ境遇で、この作品でダメなら、もう芸能界を辞めようって、最後の作品に懸けてオーディションを受けに来る役。
運命的な出合いでした。
それでも日本では、一向にミュージカルが定着しないし、ちょうどその頃に離婚を経験して......。
当時の離婚はいまよりずっと世間の風当たりが強かったので、女性向け番組のお仕事だとか、それまで来ていた仕事が全部来なくなったりもしたんです。
――4年前、離婚されたマイク眞木さんと「徹子の部屋」に出演されていましたね。
それはお互いを尊敬しているからです。
日本の男性は年下のかわいらしい女性を好きな方が多いでしょう(笑)。
ヨーロッパだと、このぐらいの年齢になって、やっと人間としてすてきだと言われるのにね。
そういう意味では、元ダンナは立派です。
私が主婦業よりも舞台がやりたいことは分かっていただろうし、君は外でやっていらっしゃいと送り出してくれた。
息子もそう思っているようですし。
いまとなっては別れた夫とも、その奥さまとも仲良しで、眞木ファミリーのLINE(コミュニケーションアプリ)グループにもなぜか私がいるんですよ。
――50代以降を振り返られて、いかがですか。介護など、それぞれの事情を抱えている方も多い世代です。
私も介護しながら舞台に出ていた時期がありました。
『マンマ・ミーア!』大阪公演の頃です。
父はパーキンソン病、母はALS(筋萎縮性側索硬化症)でした。
母からは「ママは若い人と再婚したから、面倒みなくて大丈夫よ」と言われていたのですが、母よりも先に父が寝込み、次は母が病気に。
私は一人娘ですし、仕方がないですからね。
つらい時期でしたが、やはりステージに立つ時間に救われました。
仕事の時は介護をお願いして、帰宅したら私がおむつを替える毎日でも、ステージに立っている時だけは介護のことを忘れられます。
なので、介護中の方は何か一瞬でも、それを忘れられる時間があるといいのではないでしょうか。
この年齢になると、スケジュールが大丈夫なら、いただいたお仕事は全部受けると決めているんです。
いつまで体が動くか誰にも分かりませんから。
女優さんの中にはご自宅にトレーナーを呼ぶ方もいらっしゃいますけれど、私は誰かと分かち合うのが好きだから、近所のジムに通っています。
つらいトレーニングをやり切って、ハイタッチしながら「やったね、今日も。つらいのにね!」って分かち合う。
その瞬間が最高です。
ジムにいる時は普通のおばさんですから。
芸能の世界とは関係ない方とお話しする時間は大切ですね。
役者としての引き出しも増えますし、いまの時代、災害の心配もありますから、ご近所の方と一緒に生きていくことが本当に大事だと思います。
――一心に舞台を目指してこられて、いまとても充実されていますね。
でも、役者は満足したら、そこで終わってしまう。
時代はどんどん変わっていくし、時代に乗れる役者でいたいから、いつまでも努力を忘れずに、冒険心を持っていたいと思います。
ただ、家にいる時間が増えたら、やってみたいことがあるんです。
それは猫を飼うこと。
舞台は旅公演があるから、飼えないんですよ。
それと、若い頃は嫌でしたけど、お話をいただけるなら、映画に出るのもいいなと思うようになりました。
皺もちゃんと写してもらってね(笑)。
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取材・文/多賀谷浩子 ヘア&メイク/矢野トシコ〈SASHU〉 スタイリング/松田綾子〈オフィス・ドゥーエ〉