10代でデビューして以来、圧倒的な演技力と、みずみずしい透明感をいまも変わらず持ち続ける小林聡美さん。4月29日には主演映画『ツユクサ』が公開になります。
生まれてきたことも突き詰めれば奇跡の一つ
――とある小さな田舎町で暮らす女性の日常に起きた、小さくて大きな奇跡の物語。ご自身はどんなところに惹かれたのでしょう。
いたって普通の日常を描いているようで、主人公の車に隕石がぶつかったりという、ちょっと不思議なバランスの物語で、隕石が当たること自体は1億分の1の確率で、起こり得ないとは言い切れない絶妙なラインらしいです。
そもそも奇跡って実はそんなに大袈裟なことではなくて、それに気付けるかどうかというか。
本当は奇跡的なことなのに、それに気付かず通り過ぎてしまって奇跡として受け止められない、そういうものなのかなと。
例えばいま飼っている猫がうちにいることも、出会いの確率からいえば奇跡的だし、自分が生まれてきたことも、突き詰めれば奇跡の一つだと思うんです。
私が演じた芙美さんは「これは奇跡だ!」と大袈裟に捉えるタイプではなくて、部屋を整えて心地よく過ごしたり、日々をきちんと積み重ねて暮らすことを大切にしている人。
まさか自分に隕石がぶつかるなんて考えてもいないし、恋愛みたいなことが起こるとも思ってない。
大きな夢だとか楽しみよりも、粛々と毎日を重ねている女性というふうに受け止めながら、演じました。
そして年齢や環境で自分を制限しない、自由な精神の人なのかなと。
それはうんと年下の親友がいるという設定がヒントになりました。
親友の航平くんは友人の息子で、まだ小学生なんですけど、芙美にとってなんでもフラットに話せる親友なんです。
そういった関係を築けるのも、芙美が既成概念を超えて自由に物事を考えられる人だからだと思います。
大変な状況も永遠に続くわけではない
――自分軸を持っているということですよね。そこは小林さんの印象とも重なります。
芙美さんの部屋にはテレビはあるけれど、テレビをつけたり音楽をかけたりしている雰囲気じゃなかったんですよね。
私も普段はテレビやラジオをほとんどつけないんです。
若い頃は音楽をずっと流したりしていましたが、いまはもうシーンとしているのがいちばん居心地がいい。
無音の中にいると心が落ち着くんです(笑)。
テレビは天気予報を見るか見ないかぐらいで、ニュースもほとんど見ません。
それでも携帯を見ると勝手に入ってきますから、不安をあおるようなことに、自分からアプローチしなくてもいいかなって。
その方が心穏やかに過ごせると思うんです。
――肌がおきれいですが特別なお手入れをされているんですか。
本当に雑だし何もしていないんです。
ありがたいことに恐らく、体質なんだと思います。
特別なことは一切してないんですが、もし秘訣があるとしたら、食べたいものを食べ、たくさん寝て、あんまりストレスをため込まない......そういうことだと思います。
実際仕事が忙しかったり、何かに集中し過ぎたりすると険しい表情のまま固まってしまったりするので、本当にストレスや体調って見た目に現れると思います。
若い頃は多少無理をしてもすぐに戻りましたが、ある程度の年齢を重ねてからのストレスは、確実に表情に刻まれるという危機感があるので(笑)、なるべくストレスはためないように気を付けています。
でも、それぐらいです。
「春の句を作っていると、季語につい草餅を出しがちです。あら、また草餅を出しちゃったって(笑)。草餅ってなんだか良くないですか?」
――ストレスをためないことが難しかったりするのですが、ためない秘訣はありますか?
仕事が忙しくなってしまったときは、「永遠に続くわけではない」と思って、「3カ月は頑張ろう。それが終わったら楽しいことをしよう!」と自分なりにゴールを設定して頑張ります。
その間もしょっちゅう自分へのご褒美でおいしいものを食べたりして、自分を甘やかすようにしたりします(笑)。
物理的な忙しさはそのようにして乗り越えますし、嫌だなと思うことにはハマらないようにするのが秘訣といえば秘訣ですね。
「あ、いまハマりかけてるぞ」と思ったら、あえてその物事から距離を置いたり、「全然大したことじゃない」と思うようにしています。
――それでも悩みの沼にハマることはないのですか?
若い頃、それこそお仕事を始めたばかりの頃や20代は、もっと自分にはできることがあるんじゃないかとか、もっと違った道があるんじゃないかと思い悩むことはありましたね。
自分の可能性が分からなくて、気持ちがブレてしまうことはあったと思います。
そんなときにも、この状態はずっとは続かないだろうし、また違ったふうになるだろうと考えるようにしていましたが、いまはもう目の前をどんどん踏み固めながら進んでいくしかないというか、その時々でやれることをやるしかない、そんな心境です。
ものすごく落ち込んだり、もう前に進めないと立ち止まるようなことはほとんどありません。
だって、そういうところに自分がいること自体がつらいじゃないですか。
だからといってまったく心がちくちくしないかといったら、そんなことはないんですけどね。
たまに過去の思いがぶり返すということは、もちろん人間だしあります。
でも、それが生きていくということなんでしょう、きっと。
なんて思いながら甘いもので解消しています(笑)。
「いい人生だったな」と思って幕を閉じたい
――大きな挑戦もありましたね。45歳で大学に社会人入学されています。
大学というものを体験してみたかったんです。
学ぶだけならどんな形でもできると思うんですけど大学で学ぶことを体験しないまま人生が終わっちゃうのはちょっとつまらないなと思い、挑戦してみました。
4年間、本当にいい時間でした。
試験やレポートがなければもっといたかった(笑)。
パソコンやプレゼンテーションなどの科目も、若い友人たちに助けてもらって、なんとか履習することができました。
大学生活も若い友人たちも私にとっての宝物です。
――ピアノや俳句の体験も、日々を豊かにしてくれているようですね。
ピアノはちょうどコロナが始まった頃に始めました。
自分一人で楽しめるし、必死に練習をしているとあっという間に時間が過ぎてしまいます。
俳句も、こういう大変なときでも続けたいと思っている仲間たちと、通信を活用したりしながら続けています。
――コロナ禍の生活からなかなか抜け出せませんが、これからの人生の理想的な過ごし方は?
若い頃、自分はどう消えていくんだろうという漠然とした不安感から、「将来の夢は幸せな老後」と言っていた記憶があるんです。
どうせなら「うえー、悲しい」と思いながら最期を迎えるより、「すごくいい人生だったな」と思って幕を閉じたいじゃないですか。
そのためには自分で自分の責任を取る覚悟は必要だし、まず健康でいないとと思ってます。
取材・文/鷲頭紀子 撮影/吉原朱美