作家、エッセイスト、タレントなど幅広い分野で活躍をされている阿川佐和子さん。今夏には、恋愛や仕事、夫婦や親子の関係といった誰もが抱く悩みにQ&A形式で答えた『アガワ流 生きるピント』を上梓されました。そんな阿川さんに、介護や日々の生活について伺いました。
介護は長期戦と肝に銘じた方が楽
――夫婦関係、親子関係...さまざまな悩みにQ&A形式で答えた『アガワ流 生きるピント』。特に介護や老後に関する回答は、一人で思い悩んでいる人こそ必読の、阿川さん流の知恵やヒントが満載です。
みなさん真面目なんですよね。
でも頑張り過ぎて共倒れになってしまったら、元も子もないと思うんです。
私が母の介護を始めた頃、介護経験者である同い年の友達に「あなたは2、3年頑張ればなんとかなると思っているかもしれないけれど、10年かもしれないんだよ」と言われました。
だから適度に手を抜きなさい、と。
そのときは「えーっ」てなりましたけど、実際のところ母の認知症が始まって見送るまでほぼ10年でしたから、友達の言葉は正しかったんです。
その10年の間には父の介護も入ってダブルだった時期もあるんですけど、人によっては自分の親だけでなく、義理のご両親を看なければならない可能性もあります。
だから真面目であるほど長期的展望というか、数年では終わらないと肝に銘じておいた方が、後が楽になると思う。
それから、昔は大家族制だったから助けてくれる人が誰かしらいたと思いますが、いまはそうではないので、つかめるだけたくさんの藁をつかんでおいた方がいいわよね。
――お父様とお母様を見送られた後、悔いのようなものはありましたか?
もちろん、「もうちょっと優しくしておけばよかった」とか、いくつも後悔はありますよ。
でも、人の寿命は致し方のないこと。
若くして亡くなられる場合は気の毒ですが、うちの場合は二人とも90代でしたし、一応は穏やかな最期を遂げることができたと思えば、しようがないという感じはします。
父は手のかかる人でしたから、介護中には大変なこともありましたが、それでも息を引き取る瞬間に間に合わなかった悲しみはやっぱりあるんですよね。
でも母のときは、弟と病院に泊まり込んで7時間かけて見送ることができました。
そのときに、こういうことって大事なんだなって初めて気付いたんですよ。
そりゃ悲しいことは悲しいけど、突然崖から落とされるのと、徐々にスロープを下りていくのを見るのとでは、随分違うものなのねって。
若い頃はお通夜やお葬式って、なんだか儀礼的な感じがして嫌いだったんです。
お見舞いもそれまでさんざんご無沙汰していたのに、あざといような気がしてちょっと避けていたところがありました。
でも、見送る側が少しずつ納得していくことがとても大事で、そのために儀礼的なことも必要なんだと。
そういうことを思うような年頃になったんですね。
イライラやモヤモヤは自分一人で解決しない
あとは介護に限りませんが、私にとっては笑うことがとても大事なことなんです。
どんなに頭に来ることや悲しいことでも、どこかに笑いを拾いたいという感覚がある。
それはたぶん中学・高校時代に身についたことなんですよね。
女ばかりの学校でしたが、笑うことに全力をかけているような生徒ばかりで。
国語の授業で真面目な生徒が、『伊豆の踊子』の「また連れの女の」という部分を「マタズレの女の」って読んだって、大騒ぎしたり(笑)。
母は「あなたたちは勉強もしないで」って呆れていましたけど、命がけで笑っていました。
父に怒られて「もう家を出てやる」って泣いて友達に電話をしたときも、私の話が終わるやいなや「明日何食べる?」なんて言うものだから、最終的には笑ってしまって。
そうやって笑うと楽になるし、笑いに変えることで深刻さから逃げられるという癖が、自然と身についたんじゃないかしら。
――「明日何食べる?」は、いまの年代の友達関係でも使えそうですね。
もちろん悲しければ涙が枯れるまで泣けばいいと思うし、立ち上がるのがつらければ、床ずれができるまで寝なさいって思う。
だけど、それを全部やった後に「まあ食べるか」とか「笑ってみるか」というふうに転換できたときは救われてますからね、きっと。
あとは......よく会う人だと「またか」って思われちゃうから、めったに会わない人に相談してみるとかね。
そういう中でもあまり厳しい意見を言わないような優しい人を5人ぐらい見つけて、同じ悩みを話すんですよ。
5回も話せば整理もついてくるし、楽になるし、なにより同じ話を5回もしている自分がばかだなってことに気付いてくるんですよ。
私ってちっちゃいなって。
笑いに変えるにせよ、人に話すにせよ、イライラしたりモヤモヤしたことを自分一人で解決しようと思わない方がいいと思う。
私は発散型だから、それができる相手には結構バチバチぶつけちゃうんですよ。
うちの夫にも「よく怒るね」と言われますが(笑)。
――でもそれが発散になっているわけですよね。
そうですね。
カッと怒って、「あ、悪かった」と反省する。
じゃあ最初からカッとなるなって話なんだけど、そこまで人間ができていないのよね。
作家、エッセイスト、キャスター、タレント、女優などさまざまな顔を持つ阿川さん。そんな多忙な中での介護経験を踏まえつつ、高齢者医療の第一人者・大塚宣夫氏と理想の介護、老後について語り合った『看る力 アガワ流介護入門』も必読。
横尾忠則さんに教わったこと
――体調面の悩みに関しては、どのような整え方をされていますか?
最近、仕事で横尾忠則さんにお会いしたんです。
すごくとんがった芸術家のイメージがあったのですが、実際は従順で優しい方でした。
横尾さんは小さい頃に、いまのご両親のところに養子に出されたんですって。
それを高校生になって知ったとき「人間の運命なんてそういうものだ。どう抗ってみてもなるようにしかならん」と思ったんですって。
元々の性格もあるのでしょうけど、例えば「君は油絵をやった方がいいよ」と言われたら「そうか」と従うし、「君は大学に行かない方がいいよ」と言われれば、「そうか」と素直に従っていたそうです。
そうしているうちにどんどん人の輪が広がって仕事も広がっていったけれど、自分は言われた通りに行動しただけで、大したことをやってないと...。
いまは難聴で何年も前から耳がかなり聞こえづらくなってはいるけど、「その状況を楽しめばまた新しい絵が描けますから」って。
どんなに素直な人間だって嫌なものは嫌だろうと思うのに、そういう捉え方をなさることに感動してしまいました。
私も最近は目がよく見えなくなってきて、大好きなゴルフができなくなったらどうしようと不安を覚えることもあったのね。
でも横尾さんとお会いして、「目が見えないのにゴルフがうまくなったら面白いだろうな」って考えられるような人間になりたいって思いました。
――最後に、いまいちばん楽しいことはなんですか?
ゴルフです。
ゴルフって人生修行なんですよ。
うまくいかないときってつい何かのせいにしたくなるんですよね。
やれ地面が濡れていたからとか、天気のせいだとか。
だけど結局は自分のせいなのよ。
だから、どれだけ爽やかな人間になれるか、自分自身との戦いなんです。
取材・文/鷲頭紀子 撮影/下林彩子