2018年に芥川賞を受賞した『おらおらでひとりいぐも』が、2020年に映画化された小説家の若竹千佐子さん。「この小説を書くまでは、本当にただのおばちゃんでしたから。人生はいろいろなことが起こるなと思います」と言う若竹さんの、年を重ねた女性の生き方とは...。
夫が亡くなったから、見えてきたこと
――2年前に芥川賞を受賞した『おらおらでひとりいぐも』が映画化された小説家の若竹千佐子さん。映画になると聞いて、いかがでしたか?
この小説を書くまでは、本当にただのおばちゃんでしたから(笑)。
人生はいろいろなことが起こるなと思います。
――主人公の桃子さんは夫を亡くして、ひとりになったことで、愛した夫だったけれど、夫に合わせて自分の人生を生きてこなかったのではないかと気付かされます。同じ思いをしている同世代の女性も多いかと。
女性たちも本当は大空を悠々と飛びたいんですよね。
けれど、夫より小さめにっていう暗黙の文化があるでしょう。
もうひとつは自分を試せていない不完全燃焼感。
私もそうでした。
家庭人としてはすごく幸せだったけれど、自分の力を試せないまま40歳50歳と年をとっていくのが悔しくて......。
その悔しさが、小説家になることを諦めない気持ちにつながったと思います。
――桃子さんの「子どもより、自分の人生が大事だ」という告白も印象的です。
本当に女の人ってね、内在している力を、夫や子ども、誰かのために消費させられて、自分を発揮できないまま終わってしまうもったいなさがありますよね。
女の人はもっと言いたいことを言うべきだし、政治に対しても、あまりにも何も言わな過ぎると思うんですよ。
日本のそういう風潮を打破していくためには、やっぱり立ち上がるべきだし、そういうことが重なって、女の人が内在する未知の力を発揮できるような社会になっていくんじゃないかと。
悔しいですもん。
家にこもって悔しがっている女の人たちが出ていけるようにならないとね。
――きっかけがありそうですね。若竹さんの小説みたいに。
そうそう、だから私もやらずに諦めなくてよかったなと思って。
芥川賞や小説家なんて大それたことだからって諦めなくてよかったです。
愛のために、だまくらかされて!?
――映画の中で、現在の桃子さん(田中裕子)が、ハンサムな夫の周造(東出昌大)と幸せそうにしている過去の桃子さん(蒼井優)を見ながら、「たしかに、愛があったんだ」と言う場面があります。大好きな夫さえいればいいという若い頃の気持ちもよく分かるし、でも、それで自分の人生が生きられなくなるのもよく分かる。女の人の人生は、なかなか難しいですね。
難しいですね。
愛っていうのは、諸刃ですよ。
これまで愛のために、女の人の人生がどれだけ狂わされてきたか(笑)。
だって愛のためにねぇ、姑のおむつを洗ったりしていたんだもんねぇ。
愛にだまくらかされてねぇ(笑)。
本当に愛は、なかなか魔物ですよ。
私たちはなんとなく愛がいちばん尊くて、愛がないから寂しいとか思っているけれども、実は、危険なものですよね。
――だまくらかされるとまではいかなくても、こんなことがまだあるなんて♡みたいなことがあったらどうします?
あはは、これはかまどの灰でしょう。
やっぱり目の前にいい男がいたらねぇ、まだまだちょっと......って(笑)。
私の娘がね、いま好きな人がいて、それを見ると、羨ましいなぁと思うわけ。
だから、愛には惑わされないと思いつつ、愛に生きることもまた楽しい。
矛盾したもので、だから、「だまくらかされる」。
最近、入院したんですね。
そうしたら、リハビリ施設の若い療法士さんがイケメンで(笑)。
いくつになっても楽しいことってあるんだなと思いました。
――入院生活はいかがでした?
皆さんそうだと思うけれど、死ぬこと以上に、介護される身になることを恐れていたんです。
お下の世話を他人様にお願いするなんてって。
でも実際、自分がその立場になってみたら、「よろしくお願いします」っていう感謝の気持ちしか湧かなくて。
なんだ、心配することなかったって。
対価を払って他人様にお願いすれば、思い煩うことはないんだなと分かったんです。
「おばあさんの頭の中の話をどう映画化するのか興味津々でしたが、悲しみの中に笑いがあって、笑いの中に悲しみがある。表裏一体のところをうまく映画にしてくれたなと思います」
――『おらおら~』は息子さんのすすめで、お連れ合いの四十九日の翌日から小説講座に通われて、そこから生まれた小説だそうですね。小説の中に、夫が亡くなって、見えない世界との交流を得たというくだりがありますが、いま、天国のお連れ合いとは、どんなお話をされているのでしょう。
夫が亡くなって、でも私には小説があると思ってガンガンやっていた頃は、やることがあったから忘れられたんですよ。
でも、目的が叶ってほっとひと息ついた、いまの方がむしろ、亡くなった時ほどではないけれど、いつもいつも寂しい。
いつも会いたいよって言っていますね。
でも、いま戻ってこられても、ちょっと困りますっていう感じも正直......(笑)。
だから、人の気持ちって、いつも矛盾しているものですね。
本当に、会いたいなぁと思いつつさ、でもなんか、あの頃の私とはまた違うよ、みたいな。
そういう感じですね。
ひとり暮らしの掛け値のない自由
――一般的に、独居老人とか孤独死とか、ひとり暮らしはマイナスのイメージで捉えられがちですが、桃子さんはひとりになれたことの自由、生活そのものを静かに謳歌しています。若竹さんご自身はいかがでしたか?
それは夫を亡くして、ひとりになって、ある意味、自分を励ます考え方でもあったんでしょうね。
でも実際、ひとりって気持ちいいんですもの。
悲しいことは悲しいんだけれども、この自由さ加減はねぇ。
だって24時間、自分に時間があるなんて。
立っても自由、寝ても自由ですもんね(笑)。
――年齢を重ねて、分かることがたくさんありますね。
年をとってくると、日常の些細なことなんだけれど、こういうことだったのかって、分かることが多くて。
若い頃は、その時点のことしか分からないじゃないですか。
でも、長い時間を通してみると、分かることがいっぱいあるのね。
年をとることで失うこともあるけれど、自分ではいまがいちばん賢いと思います。
あくまで当社比だけれど(笑)。
いまがいちばん深くものが考えられる。
――いまがいちばんいい時ですね。
若い頃にどうしても小説を書けなかったのは結局、自分にあまりにも大きな期待をかけていたからなんですよね。
期待が大きいと、途中まで書いて、こんなものじゃダメだって思ってしまう。
小説講座で学んだことは「とにかく最後まで完成させなさい」だったんです。
本当にその通りで、どうしたって目の方が手より上ですものね。
だから、過大な結果を残そうとしなくてもいい。
この物語の桃子さんもそうですけれど、外から見たら、何の変化もない、おばあさんがひとり、ただ、こたつで座っているだけで、頭の中では、思い思いの意見を言ういろいろな人が次々に現れて、その人たちを心の友として、止めどなく会話が続いている。
そういう豊かさがあれば、いいんじゃないでしょうか。
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取材・文/多賀谷浩子 撮影/吉原朱美