「50代は十分若いわ。やりたいと思ったらやりなさい」。ターシャ・テューダーにそう言われ、アメリカのバーモント州を舞台に「夢」を追い続ける写真家、リチャード・W・ブラウン。ターシャの生き方に憧れ、彼女の暮らしを約10年間撮影し続けた彼の感性と、現在75歳になる彼の生き方は、きっと私たちの人生にも一石を投じてくれるはずです。彼の著書『ターシャ・テューダーが愛した写真家 バーモントの片隅に暮らす』(KADOKAWA)より、彼の独特な生活の様子を、美しい写真とともに12日間連続でご紹介します。
朝霧の中のジャージー牛。
バーモントのカントリーライフを撮る
バーモントの農村に引っ越したとき、ぼくの興味を引いたのは、そこの暮らしが、ぼくが育った環境とあまりにも違うことだった。
ぼくはボストン郊外で育った。
近所のお父さんたちはみなボストンへ列車で通勤していた。
そしてボストンの大きなオフィスビルへと吸い込まれて行ったが、どのビルも背が高く、威圧的で怖いくらいだった。
そこでみんながしていることは、大事な仕事だったのだろうとは思うが、どんな仕事をしているのか外からは見えず、ぼくにはわからなかった。
仕事が周囲の環境に左右されることはまずなく、季節の変化も関係ない。
天候の変化も不便としか思われず、人々が暮らす小さな土地は、担保や固定資産税の対象にはなっても、彼らの仕事とは関係なかった。
ところがバーモントでは正反対だった。
住人たち──とくに何世代にもわたってそこで暮らす人々と土地との結びつきは明白で、切っても切れないものだった。
農家の人たちは、200年前に先祖が土地を切り拓いたその丘で、ウシを飼い、畑を耕し、作物を作り、困難な暮らしを続けていた。
林業の人たちは再生林で、チェーンソーの音と木くずと、マツやトウヒやモミの木の香りに包まれて木を伐り出していた。
アメリカのほかの地域から見ると僻地のようなここには、人々と土地の強いつながりが残っていた。
またそこには、古い暮らしがそのまま息づいていた。
懐かしい、シンプルで、でも大変だった19世紀の暮らしが。
休憩中のサンタクロース。
バーモント州では、19世紀後半の南北戦争開始から、20世紀の第二次世界大戦終結までの約100年間、人口流出と産業の衰退に対して何の手も打たれなかった。
若者がよりよい生活を求めて都市に出て行き、農業を続けたい人たちも、土地が豊かな中西部に移って行った後、農村では、残った人々が昔ながらの暮らしを続けていた。
ぼくが移り住んだ頃、人々はまだ馬を使って耕作し、200年前に建てられた家に住み、薪を使って暖房していた。
早朝、煙突からは煙が立ち上り、川面を朝霧が覆う。
牧草地では家畜小屋から引き出された家畜が草を食む──19世紀の美しい風景画を見るようだった。
ぼくはひと目で感動し、写真に撮りたいという衝動に駆られた。
日が昇るや、ニコンのカメラ2台と、8×10の大判カメラ、三脚、露出計、フィルム数十本を持って、愛車のフォルクスワーゲンに乗り込み、出発する。
地図も持たず、計画もない。
行き当たりばったりどころか、道に迷い、19世紀以前、あるいは少なくともそのように見える場所に行きつけばよい、という思いだった。
大判カメラは、三脚にカメラを取り付け、被写体の前にセットするのだから、写真を撮ろうとしていることは見え見えだ。
写真家はカメラの横に立つので、カメラに対する関係は、写真家も被写体も対等だ。
写真家と被写体が会話をしながら撮影することもある。
小型カメラを顔の前に構えてシャッターを押すのとは違う。
今住んでいるピーチャムに来てすぐ、周辺を見て回り始めた頃、家から3キロメートルほどのところに心惹かれる農家を見つけた。
広い農場だった。
もっとよく見たいと、ある朝、日の出とともに車を走らせた。
そこで見た光景の何とすばらしかったこと!
州境を流れるコネティカット川の向こうに、ニューハンプシャー側のホワイト山地が見える。
頂上は雪に覆われている。
手前に目を移せば、地面は霜で銀色に光り、周囲の木々は紅葉しており、大きな納屋のある農家の近くではウシが放牧されている。
ぼくが撮りたいと思う要素がすべて揃っていた。
ぼくは車を降り、カメラと三脚を持って丘を上がり、農場全体が見渡せる場所にカメラをセットした。
いざ撮影しようとしたとき、農家の裏口のドアが開き、男性が出てきた。
そしてこちらに向かって歩いてくる。
ぼくは、まずいことになったと思った。
まだ村に来たばかりで、村人に話しかけるにも勇気の要る時期だったので、この家の人にも、撮影してよいかどうか聞かずにカメラをセットしてしまったのだ。
男性は声が届くところまで来ると、大声で叫んだ。
「撮影が済んだら、朝めしを一緒にどうだ!」
その後もこのような経験をたくさんした。
村人は概してフレンドリーで、その多くとは友達になり、家族とも親しくなった。
写真を撮りたいと言えば喜んで時間を割き、協力してくれた。
「朝めしを一緒に」と誘ってくれた農家。
4歳の息子の手を握っている農家の男性を撮影したことがあるが、その4歳の息子が30代になったとき、こんどは、彼が自分の子どもと一緒にいる写真を撮影した。
長い付き合いになった。
これらの、昔ながらの暮らしを続けている人たちの何がよいと言って、自意識が強くなく、自然体なのがよい。
1960年代、70年代に田舎暮らしブームで引っ越してきた連中のなかには──ぼくもそのひとりだが──写真を撮られることをプライバシーの侵害ととらえる人がいる。
かなりよく知り合い、ぼくの方も礼儀正しく撮影許可を得ていても、機嫌を損ねる人がいる。
だが、昔からの農家の人たちは、ぼくを風景の一部のように受け入れてくれたので、撮影上のトラブルは一切なく、よい写真がたくさん撮れた。
紅葉の下に立つ老夫婦。
ぼくが美しいと思って撮影してきた、土と共に生きる農家の人々は、数がどんどん減っている。
バーモントで、酪農で生計を立てることは、2000年頃から極めて困難になった。
アメリカ中西部やカリフォルニア州には、何千頭というウシを飼う大規模農家がある。
バーモントの小規模農家は太刀打ちできない。
コストが収入を上回るようになったら、酪農をやめるしかない。
それでも彼らは土地を離れようとはしなかった。
メープルシロップ農家に転向する者、林業に転向する者、教師や、スーパーの店員、道具の修理屋など、何でもできることをしながら、土地と暮らしを守っている。
農業のやり方も変わってきている。
メープルシロップ農家も、今は樹液をホースで集める。
その時期、森の中はホースだらけで、まともに歩くこともできない。
そうせざるを得ないことはわかるが、心惹かれる光景ではないので、写真を撮りたいと思わない。
ぼくが惹かれるのは、カバの林であり、古い納屋であり、畑の仕事をする使役馬、古い墓地、ヒツジやウシの放牧、水のある風景──流れていようが淀んでいようが──、昇る月、沈みゆく月、かつてバーモントにはこんな幸せな時間があったのだということを彷彿とさせるようなもの、そこで暮らしを維持しようと頑張っている人々──などだ。
この州に残る最後の田園風景、努力の割に成果の少ない楽園で困難な生活を続ける人々の日々の営み──そういうものに出合ったら、カメラを向けないではいられない。
そういうもののなかに、バーモントの真の魂があると感じるからだ。
農家の人はみなフレンドリー。この主婦も夕食に誘ってくれた。
ターシャ・テューダーとのエピソードやバーモント州の自然の中で暮らす様子が、数々の美しい写真とともに4章にわたって紹介されています