「嫌いな自分」を変えたいけど...。「自分を変えられない2つの理由」/岸見一郎「老後に備えない生き方」

哲学者・岸見一郎さんによる「老い」と「死」から自由になる哲学入門として、『毎日が発見』本誌でお届けしている人気連載「老後に備えない生き方」。今回のテーマは「人はいつでも変われる」。人が変わることは難しいと思われがちですが、岸見さんはどのように考察されたのでしょう――。

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人は変われるのか

「自分のことが好きかどうか」自問してみて、手放しで「好き」といえる人は少ないのではないだろうか。カウンセリングにくる人にたずねると、「どちらかというと好きではない」とか、中には「大嫌い」という答えが返ってくる。

なぜこんなことになるかといえば、子どもの頃からまわりの人に折に触れ自分の短所や欠点ばかり指摘され続けてきたからだ。

他の道具であれば気に入らなければ交換できないわけではない。しかし、自分という道具は交換することはできない。たとえどれほど癖があって、自分のことが嫌いでも、これからずっとこの自分と付き合っていかなければならない。

もちろん、自分が嫌いだと思う人もこれまでの人生で自分を変えようとしなかった人はいないだろう。

アドラーは、いつまでなら変わるのに手遅れにならないかとたずねられた時「おそらく、死ぬ一、二日くらい前までなら」と答えた(Guy Manaster et al.eds., Alfred Adler: As We Remember Him)

アドラーは、このようにいっているが、人が変わるのに一日もいらない。今ここで変われるといえば、そんなことはないと大方の人に否定されるだろうが、決して誇張ではない。ただし、自分を変えるためにはいくつかの条件が必要である。

なぜ変われないのか

なぜ変えられないのかといえば、変えることを阻む理由があるからだ。

ここで「変える」といっているのは、性格でもあり、行動でもある。何かの問題を前にした時にそれにどう対処するかは幼い時と今とではそれほど変わらない。アドラーはこれを「ライフスタイル」といっている。

何か困難な問題を前にした時に、それを積極的に解決しようとするか、あるいは、問題を前に逡巡したり立ち止まったりする。

また、自分やまわりの世界(の人)をどう見るかもライフスタイルである。自分を肯定的に受け入れているかどうか(そうでない人は自分が嫌いである)、他者を仲間と見ているか、それとも敵と見ているかということである。

アドラーは、先の引用からもわかるように、このライフスタイルを生まれつきのものではなく、変える決心をすればいつでも変えられるものと考えている。もしもライフスタイルが生まれつきのものであり変えることができないのであれば、人をよりよい方へと導く教育は成り立たないことになる。

それにもかかわらず、なぜ性格(ライフスタイル)を変えられないかといえば、まず、これまで長く続けてきたことを変えることは難しいからだ。

何か常と違うことが起こっても「例外」だと思ってしまう。日頃、他者に警戒心とまではいかなくても、油断し心を許すと怖い目に遭うかもしれないと思っている人は、優しくされると何か裏があるのではないかと思ってみたり、仮にその人のことを信じたとしてもこの人は例外であって、他の人は怖い人だと思ってしまう。

何か下心があって自分に近づいてきたのではないかと思って付き合うと、そのように見えてくる。何か下心があるのではないかと口に出していわなくても、不信感を持って付き合えば、そのうち相手に愛想を尽かされることになるだろう。

こうして信じていなかった人が自分の前からいなくなると、他者についての見方は間違っていなかったと確信するようになる。

変えられない理由の二つ目は、変わると次の瞬間に何が起こるかわからないからである。いつも自分の前で不機嫌な態度を取っている人にある日、にこやかに笑いかけてみようと思う。しかし、そんなふうに接したら相手がどんな態度に出るかわからないので、結局、変わろうとする決心は揺らぎ、いつもと同じ態度で接することになる。

ぜひ、じっくりと読んでみてください。岸見一郎さん「老後に備えない生き方」その他の記事はこちら

 

岸見一郎(きしみ・いちろう)さん

1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健氏と共著、ダイヤモンド社)をはじめ、『幸福の条件 アドラーとギリシア哲学』(角川ソフィア文庫)など多数。

この記事は『毎日が発見』2020年1月号に掲載の情報です。

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