日本からの依頼で撮影した「80代になったターシャ・テューダー」/バーモントの片隅に暮らす(5)

「50代は十分若いわ。やりたいと思ったらやりなさい」。ターシャ・テューダーにそう言われ、アメリカのバーモント州を舞台に「夢」を追い続ける写真家、リチャード・W・ブラウン。ターシャの生き方に憧れ、彼女の暮らしを約10年間撮影し続けた彼の感性と、現在75歳になる彼の生き方は、きっと私たちの人生にも一石を投じてくれるはずです。彼の著書『ターシャ・テューダーが愛した写真家 バーモントの片隅に暮らす』(KADOKAWA)より、彼の独特な生活の様子を、美しい写真とともに12日間連続でご紹介します。

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ターシャの庭のオリエンタルリリー。

ぼくは、何をテーマに撮るにしろ、ある程度撮ると、次のテーマを追求したくなる。

ターシャについても同じで、8年にわたって撮り続けた後、もういいかな、と思うようになった。

もちろん、ターシャと会うのは楽しかったが、一緒に作ろうと企画した本が出版され、これ以上撮影しても同じような写真になるばかりだったし、ターシャも、もう十分と思うかもしれないと思った。

お互いにひと呼吸置いてもいいのでは、と考え、ターシャから遠のいていた。

それから数年後、日本の出版社から、ターシャを撮ってほしいとアプローチされた。

ぼくの中にあらたなエネルギーが生まれた。

日本の人たちとの仕事では、ターシャの大量のスケッチブック、手紙、手作りの影絵や着せ替え人形、古い家族写真など、前の撮影では見たこともないターシャの作品や側面を撮影する機会に恵まれた。

何よりも大きな発見は、ターシャ自身、すばらしい写真家だったことである。

とくに人形の家族にポーズを取らせて写真に撮り、フォトストーリーを作っていたのには驚いた。

人形たちを地面に下ろしてピクニックをさせたり、雪の中を散歩させたりもしている。

そのストーリーもユーモアがあり、しゃれが利いている。

ぼくは新しい目でターシャとターシャの暮らしを見ることができた。

ターシャの生き方をすばらしいと思ってくれた日本の読者が、それまでとは違うターシャの写真を撮るという扉をぼくに開いてくれたのである。

ぼくがかつて撮影した70代のターシャは、まだエネルギッシュで活動的で、ぼくの方が息切れしそうなこともあったが、久しぶりに再会したターシャは80代になっており、生活の中身もスピードもかなり緩くなっていた。

買い物や力仕事は、長男セスとその家族が代わってしており、キッチンのサイドテーブルの上には、家族にしてほしいことや買ってきてほしいものを書いたメモが置かれていた。

家族はターシャの面倒をよく見ており、家族が近くに住んでいて本当によかったと思った。

山の中の、行き止まりの道の奥でのひとり暮らしに不安はないのだろうか、と思う人もいるだろう。

自分ならターシャのように穏やかには暮らせない、と考える人もいるだろう。

だがターシャは、あの生活を楽しみ、心豊かに暮らしていた。

そうしたターシャの生き方、ターシャがなし遂げたことを、写真を通して多くの人に伝える役目を果たせたこと、そのような機会を与えられたことを、ぼくはとてもうれしく思う。

日本の出版チームとは、何冊もの本を一緒に作った。

すべてとても楽しかった。

ぼくが最初に覚えた日本の言葉は「蚊」だった。

ブックデザイナーの出原速夫氏と一緒に庭の写真を撮っていたとき、手に止まった蚊をたたくと、出原氏が「カ」と言った。

「モスキートのことを日本語では〝カ〟と言うの?」と聞くと、そうだという答え。

そこでこの言葉を覚えた。

それから、「タテ」と「ヨコ」という言葉を覚え、それで、写真を縦位置で撮るか横位置で撮るかの指示をもらうようになった。

楽しい思い出だ。

ターシャと知り合ったことは、ぼくの生活スタイルにも影響を及ぼした。

ぼくは、取り壊される運命だった古いホテルを買い取り、自宅の敷地に復元している。

もちろん住宅として建てており、全部レンガ造りなので、ぼくは「ブリックハウス」(レンガの家)と呼んでいるが、もう何年も掛かっている。

そんな、頭がおかしいのではないかと思われるようなことを実行しているのも、ターシャが背中を押してくれたからだ。

ターシャに計画を話し、「50を過ぎてこんなプロジェクトに取り組もうなんて、どうかしてるよね。何でそんなことしたいと思ったんだろう」と言うと、ターシャはこう答えた。

「50代なんて、どうってことない。まだ十分若いわ。やりたいと思ったらやりなさい」と。

ほとんどの人は「どうかしている」と言ったが、ターシャは励ましてくれた。

そして、ぼくがターシャの家の流しに付いている、水を汲み上げるポンプを褒めたのを覚えていて、同じようなポンプをプレゼントしてくれた。

ターシャはそういう人だった。

ターシャは幸せを追い求める勇気を持っていた。

どんな境遇に置かれても、自分も楽しみ、人も楽しませる生き方をしてきた。

ターシャと付き合ううちに、そんなターシャの生き方が、いつの間にかぼくの中に刷り込まれている。

【最初から読む】19世紀に迷い込んだのか...⁉ ターシャ・テューダーとの出会い/バーモントの片隅に暮らす(1)

【まとめ】『バーモントの片隅に暮らす』記事リスト

日本からの依頼で撮影した「80代になったターシャ・テューダー」/バーモントの片隅に暮らす(5) バーモント書影.jpgターシャ・テューダーとのエピソードやバーモント州の自然の中で暮らす様子が、数々の美しい写真とともに4章にわたって紹介されています

 

 

リチャード・W・ブラウン
写真家。ハーバード大学で美術を学んだ後、教師をへて写真家に。ターシャと同じボストン出身、バーモント在住。1990年から2007年にかけて、ターシャを何度も訪ねて庭や暮らしを撮影し、『暖炉の火のそばで』『ターシャ・テューダーの世界』『ターシャの庭』『ターシャの家』など多数の写真集を出版。これらの写真集によってターシャ・テューダーの美しい庭やナチュラルライフが広く知られるようになった。ニューイングランドの自然や人々の暮らしをとらえた写真集も定評がある。


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『ターシャ・テューダーが愛した写真家 バーモントの片隅に暮らす』

(リチャード・W・ブラウン/KADOKAWA)

ターシャ・テューダーの生き方に憧れ、ターシャの暮らしを約10年間撮影し続けた筆者は、27歳からターシャと同じバーモント州に住み、広大な自然を守りながら、半自給自足の生活を送ってきました。充実の晩年を送る彼の家・仕事・趣味・病・バーモントへの思い・ターシャへの尊敬の念などを、多数の美しい写真とともに紹介している一冊です。

※この記事は『ターシャ・テューダーが愛した写真家 バーモントの片隅に暮らす』(リチャード・W・ブラウン/KADOKAWA)からの抜粋です。

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