西田敏行さんと三國連太郎さんのコンビでおなじみの映画シリーズが人気を博した漫画『釣りバカ日誌』で知られる北見けんいちさん。今年で連載40周年を迎え、78歳になったいまも精力的に活動しています。その原動力はどこにあるのでしょう。「人生楽ありゃ苦あり。僕は最初に苦労したからいまが一番楽しいね」という北見さんにお話をお聞きしました。
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心臓の手術を経て大プロジェクトに参加
――昨年は京都の「大徳寺真珠庵」の襖絵を400年ぶりに新調するという歴史的事業にも参加されました。大徳寺のご住職・山田宗正(そうしょう)さんとは、10年ほど一緒に鹿児島県の与論島へ行っている仲だそうですが、なぜ与論島に?
サラリーマンを辞めて写真学校に通っていた1961年に、卒業制作の写真を撮るために与論島へ行ったんです。1972年に沖縄が返還されるまで与論島が日本最南端だったので、とにかくいちばん南まで行ってみようと。そのとき、仲間と3人で公民館に1カ月近く泊まらせてもらって、島の人に本当によくしてもらいました。海も信じられないぐらいきれいで、すっかり魅せられてしまって。それが20歳のときだから、かれこれ半世紀以上通ってますね。
与論島という名の楽園が人生の希望に
――いつも与論島では何をして過ごされるのでしょう。
与論島は僕にとって故郷のような存在で、何かをしに行くというより"帰る"という感じ。空港に着くとほっとします。家もあるので年5回は行っていて、夏には漫画家仲間や友人が全国から集まって、島の人も交えて40~50人で宴会をしています。『釣りバカ日誌』の原作を書いているやまさき十三さんも毎年来ていて、日中は海で釣りをしたり、夜は飲んで歌って踊ってと、僕より1歳下だけど誰よりもタフですよ(笑)
何にもない小さな島だけど、都会ではなかなか味わない温かい人間観慶賀あって、地上の楽園だなぁって思います。
――それで、大徳寺の襖絵のタイトルも「楽園」なんですね。
はい。まさに襖絵に描いたのは与論島での宴会風景です。登場人物は400人にも上りますが、その中には師匠の赤塚不二夫先生や、10年前に亡くなったうちのカミさんもいます。毎年集まれば誰かしら故人の思い出話が出ますが、南国の陽気さも手伝って楽しい話ばかりで、思い出す顔もみんな笑顔でね。与論島に集まる人たちは世代もバラバラなのに、そんな話が共有できるのは素晴らしいことだなぁって。そういう意味でも、僕がいなくなった後も、与論島でのこの会がずっと続いていくことを願っています。
――元号も変わりましたが、今後の夢は?
与論島の自宅に屋根裏部屋があって、そこに巨大な鉄道模型を作るのが目下の夢です。与論島には鉄道がないから、島の子どもたちに新幹線を見せてあげたくて。東京の町並みも再現して、そこにいろんな電車を走らせたら大人だって喜ぶと思うよ。
自分の夢? そうだねぇ。令和を元気に迎えられたから、来年の東京オリンピックを見届けたいですね。でも、東京はすごい混雑しそうだから、きっと会期中は与論島にいるだろうな。仲間たちと酒盛りをしながらテレビで観戦できたら最高だねぇ。
取材・文/Choki!(田辺千菊) 撮影/村上未知