LINEのやり取りに人生のかなりの時間を消費していないか?/枡野俊明

pixta_34970231_S.jpg職場、恋愛関係、夫婦関係、家族、友人...。毎日自分以外の誰かに振り回されていませんか?

"世界が尊敬する日本人100人"に選出された禅僧が「禅の庭づくりに人間関係のヒントがある」と説く本書『近すぎず、遠すぎず。他人に振り回されない人付き合いの極意』で、人間関係改善のためのヒントを学びましょう。今回はその第19回目です。

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前の記事「「第一印象」にとらわれず、相手を観察すると気づきがある/枡野俊明(18)」はこちら。

 

関係を整理するために余計な物事を削ぎ落とす

私は基本的に、人間関係は「広く浅く」より「狭く深く」が望ましいと思っています。もちろん、人付き合いに対する価値観は人それぞれ異なりますから、広く浅くを「よし」とする人も認めます。その前提でこれからの話を進めていきましょう。

広く浅い人間関係の典型が、SNSを介してのものでしょう。実際、スマートフォンのLINEアプリの友だちの画面に、数十、いや、100をはるかに超える名前が並んでいる人もいるようです。

それらの"友人"たちとコミュニケーションをとるのは大変です。何か情報がくれば、すぐにも返信しなければならない。「既読スルー」をすれば不評を買うことになりますし、それがたび重なれば、友人の輪から外されることにもなりかねないからです。

また、フェイスブックやインスタグラムなどにおいて、自分の存在感を示すためには発信することも必要です。しかも、「いいね!」のリアクションがたくさんくる内容でなければいけない(という強迫観念がある)。とはいえ、日常生活にそうそう興味深いことがあるわけではありませんから、多少の面白おかしい演出を加えることにもなるでしょう。

さあ、そんなふうにSNSでやりとりをするのに費やす時間はどのくらいになるでしょうか。半端な時間ではないはずです。人生のかぎりある時間の、かなりの割合を消費しているはずです。実際、電車のなかでスマホの画面からずっと目を離さず、LINEやフェイスブックのやりとりをしている人は少なくありませんし、自宅に戻ってからもスマホを手放さず、寝るときにも枕元に置いているという人もいると聞きます。

SNSはたしかに利便性の高いツールです。しかし、それは自分が主体となって使うという条件をクリアしていての話です。多くの人はSNSがむしろ主体で、それに振り回されている。そう私には見えます。考えてみてください。SNSでつながっている関係が"実(じつ)のあるもの"でしょうか。SNSは自分の素直な気持ちを、ほんとうの思いを、相手に伝えるものになっていますか?そこに心の交流を感じることができていますか?

厳しい意見になるかもしれませんが、上っ面だけの言葉のやりとりでしかない、というのが私の偽らざる"SNS友だち"に対する評価です。

あなたのなかに、「他人に振り回されて、ちょっとしんどい」という意識があれば、一度、腰を据えてSNS友だちを整理し直してみてはいかがでしょう。LINEが送られてきて、「既読スルー」するのは悪いから、返信している。やることがないと、つい、いつものクセでLINEを送ってしまう。周囲に反応してほしいがために調子に乗って、誰かの気になる情報を発信している......。

それらをやめると、友だち群は確実にスリム化されます。「禅の庭」づくりの基本的な考え方の一つに、取り除くこと、削ぎ落とすことがあります。余計なものを取り除き、削ぎ落としていく。そして、もうこれ以上取り除くものがない、削ぎ落とすことができない、というギリギリのところではじめて「禅の庭」は成立するといっていいでしょう。

世界遺産に登録されている京都・龍安寺の石庭は、わずか15個の石で構成されています。その間に作者のイメージの世界で、究極まで取り除く作業、削ぎ落とす作業が繰り返されたことは、想像に難くありません。そのようにして表現された「禅の庭」は、どこまでも簡素でありながら、無限の広がりと奥行き、深みを感じさせます。つまり、簡素であるがゆえに、いつまで眺めていても、見飽きるということがないのです。

人間関係もスリム化していくことで、ほんとうに大切なもの、かけがえのないものだけが残る、と私は考えています。深い心の交流は、そうしたつながりにしか生まれないのではないでしょうか。

もちろん、SNSのつながりをすべて断ち切るのがいいというつもりはありません。SNSだからこそ、会いたい人にコンタクトをとることも可能ですし、インターネット上だから可能な言葉のやりとりも、場合によってはいいでしょう。私が警鐘を鳴らしたいのは、SNSが主流になっているコミュニケーションの現状であり、道具(ツール)とそれを使う側の主従が逆転している関係性です。

第一章で、面と向かって、顔と顔を会わせて心を伝え合うことの大切さをいった「面授」という禅語を紹介しましたが、それが本来のコミュニケーションであることに異論があるという人はいないはずです。

利便性に偏りすぎている現状から、その"本来"に重心をシフトする。そのことが急務だと思いますし、そうすることによって、人間関係が、シンプルでありながら深く味わいのあるものになると思っています。

 

次の記事「家族と向き合えなければ、他人とは向き合えない/枡野俊明(20)」はこちら。

枡野俊明(ますの・しゅんみょう)

1953年、神奈川県生まれ。曹洞宗徳雄山建功寺住職、多摩美術大学環境デザイン学科教授、庭園デザイナー。大学卒業後、大本山總持寺で修行。禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動を行い、国内外から高い評価を得る。2006年「ニューズウィーク」誌日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」にも選出される。主な著書に『禅シンプル生活のすすめ』、『心配事の9割は起こらない』(ともに三笠書房)、『怒らない 禅の作法』(河出書房)、『スター・ウォーズ禅の教え』(KADOKAWA)などがある

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『近すぎず、遠すぎず。』
(枡野俊明/KADOKAWA)


禅そのものは、目に見えない。その見えないものを形に置き換えたのが禅芸術であり、禅の庭もそのひとつである。同様に人間関係の距離感も目に見えない。だからこそ、禅の庭づくりに人間関係のヒントがある――「世界が尊敬する日本人100人」に選出された禅僧が教える、生きづらい世の中を身軽に泳ぎ抜くシンプル処世術。

この記事は『近すぎず、遠すぎず。他人に振り回されない人付き合いの極意』からの抜粋です
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