家族と向き合えなければ、他人とは向き合えない/枡野俊明

pixta_19731494_S.jpg職場、恋愛関係、夫婦関係、家族、友人...。毎日自分以外の誰かに振り回されていませんか?

"世界が尊敬する日本人100人"に選出された禅僧が「禅の庭づくりに人間関係のヒントがある」と説く本書『近すぎず、遠すぎず。他人に振り回されない人付き合いの極意』で、人間関係改善のためのヒントを学びましょう。今回はその第20回目です。

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家族と向き合えなければ、他人と向き合えるはずがない

人間関係の"原型"は、いうまでもなく家族です。
しかし、いまの時代、その家族が壊れかけているという印象をもっている人は少なくないのではないでしょうか。

かつての家族は、朝に顔を会わせれば「おはよう(ございます)」と挨拶を交わし、そろって食卓につき、同じ献立の食事をとっていました。その間にそれぞれの近況が語られることにもなっていたのだと思います。ところが、その家族の在り様は、時代の変容とともに大きく様変わりしたかに見えます。ろくに挨拶も交わさない、食事時間も献立もマチマチ、といった家族が珍しくないとも聞きます。

また、家族が一緒に食事をとってはいても、それぞれが別のものを食べる「個食」も増えているそうです。親が和食を食べている横で、娘はサラダと果物だけの食事をしている、といったケースですね。

さらに、子どもだけで食事をする「孤食」は、朝食に関して「頻繁にある」「たまにある」が小学生で60.3%、中学生で70.9%という調査結果(「オトナの食育に関する調査」=ライフネット生命保険株式会社/2013年)もあります。地域による差などはあると思いますが、深刻な事態であることはたしかでしょう。時代の変化や家族のさまざまな事情はありますが、家族がバラバラになっていることは否めない現実といわざるを得ません。

人間関係の原型は瓦解の方向に向かっています。この状況に私はおおいに危惧(きぐ)を感じています。人はまず、家族との触れ合いのなかで長幼の序、すなわち、年長者を敬うことを学び、親は子どもを、子どもは親を、思いやり、大切にする心を育んでいったのだと思います。

「露(ろ)」という禅語があります。どこも包み隠すところがなく、すべてがあからさまになっている、という意味です。人がその「露」の状態、つまり、社会的な立場から離れて「素顔」「素の自分」でいられるのは、本来、家族のなかでのこと。家族が触れ合う場面がなくなったということは、学びや育みの場を失ったことであり、同時に、素顔でいられる時間を喪失したことでもある、といっても過言ではありません。

家族の立て直しは、現代において重要なテーマの一つです。そのための具体的な方法として、私は以前より、週に一度は家族そろって食事をすることを提案してきました。家族のそれぞれが「なんとかしなくちゃ」と頭で考えていてもダメなのです。身体を使って動かなければ何も始まりません。

たとえば週末の一日は家族が全員で食事をする。それを家族のルールにすれば、時間のやりくりはつけられるものです。最初はどこかぎこちなさがあるかもしれませんが、そこは家族です。続けているうちに、さまざまな話題も出るでしょうし、そのとき家族それぞれが考えていること、していることなどについても、"情報共有"ができるようになります。

触れ合う時間が増え、あらためて家族がおたがいのことを知るようになれば、自然にその時間は素顔でいられるようになるでしょう。東日本大震災以降、「絆」ということがさかんに語られましたが、絆はおたがいが素顔で触れ合い、結び合うなかから生まれるものである、と私は思っています。

ちなみに、素顔、素の自分でいることは、「禅の庭」づくりでもとても大切なのです。作庭作業に入る前には、当然、デザインを起こし、図面を引きますが、実際に現場に立つときにはほとんどそれをもちません。そのとき、その空間で感じたことを表現していく。そのことだけに注力します。その妨げになるのは作為です。つまり、「こんな庭にしてやろう」「見る人を感動させてやるぞ」......。そうした思いがあると、ある種の"臭気"が庭にあらわれてしまうのです。

作為を捨て、そのときどきの素の自分で空間に向き合うことを、私は常に心がけています。人間関係も、作為があるものはほんものとはいえないでしょう。「この人と付き合ったら、何かメリットがありそうだ」「あの人は自分の得になりそうもないから、付き合いは遠慮しよう」......。そんな思惑があったら、人間関係は計算、打算が色濃いものになってしまいます。

まずは家族と素の自分で向き合う。それが、他人との間にも、作為のない、ほんものの人間関係を築いていくための入り口となります。

 

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枡野俊明(ますの・しゅんみょう)

1953年、神奈川県生まれ。曹洞宗徳雄山建功寺住職、多摩美術大学環境デザイン学科教授、庭園デザイナー。大学卒業後、大本山總持寺で修行。禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動を行い、国内外から高い評価を得る。2006年「ニューズウィーク」誌日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」にも選出される。主な著書に『禅シンプル生活のすすめ』、『心配事の9割は起こらない』(ともに三笠書房)、『怒らない 禅の作法』(河出書房)、『スター・ウォーズ禅の教え』(KADOKAWA)などがある

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『近すぎず、遠すぎず。』
(枡野俊明/KADOKAWA)


禅そのものは、目に見えない。その見えないものを形に置き換えたのが禅芸術であり、禅の庭もそのひとつである。同様に人間関係の距離感も目に見えない。だからこそ、禅の庭づくりに人間関係のヒントがある――「世界が尊敬する日本人100人」に選出された禅僧が教える、生きづらい世の中を身軽に泳ぎ抜くシンプル処世術。

この記事は『近すぎず、遠すぎず。他人に振り回されない人付き合いの極意』からの抜粋です

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