「あの人は間違っている」「あんなことをするなんて許せない」...と強く思ったことはありませんか? 脳科学者の中野信子さんは「人間の脳は仕組みとして他人に正義の制裁を加えることに快感を覚えるようにできています」と語ります。その中野さんの著書『人は、なぜ他人を許せないのか?』(アスコム)では、脳科学的観点から見た「ネット社会にはびこる正義中毒」や「日本特有の社会的な仕組み」などを解説しています。今連載では、「心穏やかに過ごすため」のヒントにつながる5つの記事をご紹介していきます。
「我こそは正義」と確信した途端、人は「正義中毒」になる
あなたは、どんなときに人を「許せない」と思いますか?
「恋人や配偶者が浮気をしていた」
「上司からパワハラやセクハラを受けた」
「信頼していた友達から裏切られた」
こんな経験をしたことがある、あるいは身近な人が経験しているという方は、多いのではないでしょうか。
ここで生じる「許せない」感情は、自分や自分の近しい人が何らかの被害を受けたことに対する憤りであり、強い怒りが湧くのは当然です。
では、こういう場合はどうでしょうか?
「清純な優等生キャラで売れていた女性タレントが不倫をしていた」
「飲食店のアルバイト店員が悪ふざけの動画をSNSに投稿した」
「大手企業がCMで差別的な表現をした」
もちろん、不倫は法律上してはいけないことですし、店の営業妨害になるような動画の投稿は刑事罰につながることもあります。
また、CMなどで特定の人たちを差別するような表現を用いることも問題でしょう。
しかし、自分や自分の身近な人が直接不利益を受けたわけではなく、当事者と関係があるわけでもないのに、強い怒りや憎しみの感情が湧き、知りもしない相手に非常に攻撃的な言葉を浴びせ、完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめさずにはいられなくなってしまうというのは、「許せない」が暴走してしまっている状態です。
我々は誰しも、このような状態にいとも簡単に陥ってしまう性質を持っています。
人の脳は、裏切り者や、社会のルールから外れた人といった、わかりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えるようにできています。
他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出されます。
この快楽にはまってしまうと簡単には抜け出せなくなってしまい、罰する対象を常に探し求め、決して人を許せないようになるのです。
こうした状態を、私は正義に溺れてしまった中毒状態、いわば「正義中毒」と呼ぼうと思います。
この認知構造は、依存症とほとんど同じだからです。
有名人の不倫スキャンダルが報じられるたびに、「そんなことをするなんて許せない」と叩きまくり、不適切な動画が投稿されると、対象者が一般人であっても、本人やその家族の個人情報までインターネット上にさらしてしまう、企業の広告が気に入らないと、その商品とは関係のないところまで粗探しをして、あげつらう......。
「間違ったことが許せない」
「間違っている人を、徹底的に罰しなければならない」
「私は正しく、相手が間違っているのだから、どんなひどい言葉をぶつけても構わない」
このような思考パターンがひとたび生じると止められなくなる状態は、怖ろしいです。
本来備わっているはずの冷静さ、自制心、思いやり、共感性などは消し飛んでしまい、普段のその人からは考えられないような、攻撃的な人格に変化してしまうからです。
特に対象者が、例えば不倫スキャンダルのような「わかりやすい失態」をさらしている場合、そして、いくら攻撃しても自分の立場が脅かされる心配がない状況などが重なれば、正義を振りかざす格好の機会となります。
あなたも「正義中毒」に陥ってしまう可能性がある
こうした炎上騒ぎを醒めた目で見ている方も多いと思います。
しかし、正義中毒が脳に備わっている仕組みである以上、誰しもが陥ってしまう可能性があるのです。
もちろん、私自身も同様に、気を付ける必要があると思っています。
また、自分自身はそうならなくても、正義中毒者たちのターゲットになってしまうこともあり得ます。
何気なくSNSに載せた写真が見ず知らずの他人からケチをつけられ、「不謹慎だ」「間違っている」などと叩かれてしまうようなケースは、典型例だと言えます。
正義中毒の状態になると、自分と異なるものをすべて悪と考えてしまうのです。
自分とは違う考えを持つ人、理解できない言動をする人に「バカなやつ」というレッテルを貼り、どう攻撃するか、相手に最大級のダメージを与えるためには、どんな言葉をぶつければよいかばかりに腐心するようになってしまいます。
ある状況においてどちらの言い分が正しいのかはさておき、双方が互いを正義と確信して攻撃を始めてしまったら、解決の糸口を見出すことは非常に困難です。
それどころか、参加している双方が、お互いを攻撃し合う状況にのめり込んでいくこと自体をイベントとして積極的に楽しんでいて、そもそも解決しようという気がないのではないかとも思えます。
それはまるで、どう上手に、効率的に相手をけなすかの技術を競ういわば大喜利大会のようです。
これは、前述した正義中毒の「重篤な」状態だと言えるでしょう。
問題を解決しよう、既存の知識と経験だけに頼らず新しい知見を得よう、難しい状況を抜け出して新たな答えを見出そうとするよりも、その場で自らの正義に酔い、相手を一方的にけなすことに満足感を覚えているわけです。
「人を許せない自分」を許せない苦しみ
ただ、多くの人は元々怒りっぽいわけでも、誰彼構わず攻撃を仕掛けているわけでもありません。
普段は、あくまでごく常識的な、穏やかな態度を保てるのに、ある話題、ある状況になると、豹変してしまうのです。
歴史の話になると自分の説と異なる説を唱える相手を見逃せない、特定の野球チームを応援している人は許せない──などがありがちな例でしょう。
そして、実際に人と接するリアルの世界では我慢できるのに、ツイッターやフェイスブックなど、インターネットやSNSの世界では攻撃的になってしまうというケースが多々あります。
というより、ネットの広がりが正義中毒を顕在化させ、より強めているのではないかと考えられます。
一方で、自らの正義を主張する快感を知りながらも、同時に、相手を罵ってしまう自分、相手を許せない自分を許せないと感じることがあります。
さんざん相手をなじっておきながら、後で後悔したり、自己嫌悪に陥るような感覚です。
あらかじめお断りしておくのですが、私はこのような相反する思いが、なぜ脳の中で同居しているのか、同居し得るのか、興味深いとは思うものの、厳密に科学的な意味では結論と言えるほどの確定的なエビデンスを得ていません。
ただ、「人を許せないことが苦しい」「そんな自分自身を許せない」と感じる人は一定数実在し、苦しんでいるのを目の当たりにしています。
自分が相手をけなし、相手もまた自分を罵倒し、どこにも接点を見出せずに憎悪だけが持続し、増幅していく世界。
他人の過ちを糾弾し、自らの正当性が認められることによってひとときの快楽を得られたとしても、日々他人の言動にイライラし、許せないという強い怒りを感じながら生きる生活を、私は幸せだとは思えません。
正義中毒が苦しいと感じている方に、脳科学的な知見から何らかの救いになるようなメッセージを提供できればと思っています。
「許せない仕組み」を知ることは穏やかに生きるヒントになる
「許せない」と思わずに済む一番の方法は、誰とも関わらずに生きていくこと、あるいは自分と考えの合う人としか付き合わないことかもしれません。
しかし、社会生活を営んでいる私たちが、他人と関わらず、付き合わないでいることは、現実的にはなかなか難しいでしょう。
先ほども少し述べた通り、人を「許せない」という感情の発露には、脳の仕組みが大きく関わっています。
人と関わらずには生きていけない以上、自分と考えの異なる人を「許せない」「理解できない」「バカなやつだ」と切り捨てたり、憎しみの感情で捉えたりするのではなく、「なぜ私は、私の脳は、許せないと思ってしまうのか」を知ることこそが、自分の人生にとって、ひいては社会全体にとっても大きなプラスを生むのではないでしょうか。
他人をけなして快感を得ることも、他人からけなされて傷つくことも、そうした摩擦を恐れてコミュニケーション不足に陥ったり、他人から愚かだと思われたくなくて意思表示を控えたりすることも、結局は相互理解の不足によるものだと思うのです。
そういった生きづらさを少しでも解消し、心穏やかに生きるためのコツを述べていきたいと思います。
隗(かい)より始めよ、などと偉そうなことを述べる意図は一切ありません。
ただし、許せない自分を理解し、人をより許せるようになるためには、脳の仕組みを知っておくことが有用なのは確かです。
これは、自分とは考えの異なる他者をどうすれば理解できるのかを考えることと同じです。
そのために、脳科学的な現象の説明、過去の研究が役に立つのではないでしょうか。
すべての人を理解できるようになることは不可能でも、できることなら、他人に必要以上の怒りや不満、憎しみの感情を持つことなく、穏やかに生きたい。
心の底ではそう思っている読者にとって、その助けになり、少しでも気を楽にして生きていくヒントになれば幸いです。
ネットの影響で増中の「自分が正しい!」という「正義中毒者」に陥らないための考え方を4章に渡って解説