「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった本連載を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
【前回】「まずい、まずい、まずい。このまま死ぬかも......」ついに来た、がんの痛み
本当に大切なもの
毎日、胸の中がチクチクと痛むのが普通になった。
気道が腫れて胸の中に異物が詰まっているようで苦しくなってきた。
喉も常に腫れている感じがして、3センテンス以上話すと痰が絡み、咳き込むようになっていた。
思ったように会話ができない。
代わりにジェスチャーで応える。
胸の奥から痰がせり上がってきて、突然咳き込むようになった。
12月に入り、ついに痰に血が混じり始めた。
なんとか食い止めなくては......。
今の治療は、立川のクリニックと漢方だった。
もう一つくらい、何かをプラスしたい。
ネットで情報を検索する。
すると、手当てのヒーリング治療のサイトを見つけた。
なんとがん専門だ。
本当に効くんだろうか?
いや、効かなかったら止めればいいんだ。
とにかく行動だ。
さっそく予約を入れた。
12月9日、そのがん専門ヒーラーを訪ねた。
ヒーラーは60代半ばだろうか、気難しい顔をした白髪の男性だった。
「山中です」
老人は無愛想に自己紹介した。
ヒーリングを受ける前に僕は自分の状況を話した。
9月に肺がんステージ4宣告を受けたこと、つい先日、原発がんのある部分がものすごく痛くなったこと、咳が止まらなくなってきたことなど......。
そして一番聞きたい質問をした。
「治りますかね?」
山中さんは無愛想に言った。
「わかりません。私の経験では治った人もいますが、亡くなった人もたくさんいらっしゃいます」
「うむむ......」
「ここにうつぶせに寝てください」
山中さんはベッドを指差した。
僕はそこに横になった。
山中さんは僕の仙骨の部分に軽く手を当てた。
しばらくすると言った。
「仰向けに」
僕は言われるまま、仰向けになった。
山中さんの手が僕の胸の上を触れるように流れていく。
僕がうっすらと目を開けると、山中さんは目をつぶり瞑想しているような表情で僕の胸に手を当てていた。
彼の手が止まり、指先が胸に触れる。
そこはチクチクと痛む場所だった。
なぜわかるんだろう?
不思議なことに、痛みがすーっと消えて行く。
おお、すごい。
こんなことってあるんだ。
「どうしてわかるんですか?」
約1時間の施術の後、山中さんに聞いた。
「指がね、チクチクするんですよ」
彼は無愛想に答えた。
「次の予約を入れたいのですが」
僕は自分の効果を確認したので、すぐにでもまた施術を受けたい気持ちになっていた。
「ああ、予約ですね。しばらくは予約でいっぱいだから......次空いているのは21だね」
山中さんは商売っ気なく、つっけんどんに答えた。
そんなに先なんだ......気を取り直して21日に予約を入れた。
「その次は?」
「28かな」
「じゃ、そこもお願いします」
がんと戦うアイテムがまた一つ増えた。
12月15日、温泉に入ることと、健康祈願の願掛けに、妻と日光へ日帰りで出かけた。
2人で電車に乗る。
考えてみれば子どもたちのいない2人だけの旅なんて、本当に久しぶりだ。
浅草から快速に乗って日光へ向かう。
電車の中でお茶を飲む。
他愛ない話をする。
窓の外の景色を眺める。
目の前に微笑む妻がいる。
僕はそれだけで幸せだった。
いったい今まで、何を見てきたんだろう?
何をしてきたんだろう?
幸せはこんな目の前にあったのに。
12月の日光は寒かった。
妻の指導で何枚も着込んできて正解だった。
妻の言うことはいつも正しい。
今まで、頑固な僕は妻の言うことをほとんど聞かなかった。
だからがんになったのかもしれない。
駅を降りると冷たい空気が頬を撫でていく。
スカッと晴れ渡った空は気持ちのいいくらい高かった。
2人で東照宮まで歩くことにした。
日光の街並みをキョロキョロと見回しながら、あれこれおしゃべりをする。
途中でお蕎麦屋さんに入り、ゆば蕎麦を食べる。
身体が温まった。
平日だったせいか、東照宮は人がまばらだった。
有名な「見ざる・聞かざる・言わざる」はかわいらしく建物の上にいた。
東照宮の中に入り、2人で手を合わせる。
「どうかがんが治りますように」
「どうか生きる時間が続きますように」
帰りの電車の中、疲れて眠っている妻の顔を見て思った。
ああ、この人と結婚して本当によかった。
何もしていなくても、2人で一緒にいるだけで幸せ。
胸が痛かろうが、血を吐こうが、僕は幸せだ。
僕の周りにはたくさんの人がいる。
みんな僕を大切に思ってくれている。
みんな、全員なんだ。
こんなにも僕を大切に思ってくれている人が「いる」ということ。
「いる」んだ、僕には。
なんて幸せなことなんだろう。
僕には愛する妻がいる。
子どもたちがいる。
父や母や姉がいる。
会社の仲間がいる。
ジムの仲間がいる。
いる、いる、いる、いっぱいいるんだ。