「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった本連載を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
【前回】体調が少しずつ悪化。そろそろ「がん治療」を始めねば...焦る僕が出会ったドクター
11月24日、掛川医師は相変わらず眉間にシワを寄せて僕の話を聞いていた。
「いろいろご心配とお手間をおかけしましたが、治療方針を決めました」
「そうですか、それで、えー、どうされるのですか?」
「抗がん剤はやらないことに決めました。やっぱり僕は抗がん剤はやりたくないのです」
僕の言葉を聞くと、掛川医師は、はーっとため息をついた。
「今は緩和治療といって副作用を減らす治療も進んでいるのですが......」
「いえ、それでもやりたくないのです。いろいろとお世話になりましたが、代替医療でやっていきたいと思っています」
「そうですか......」
掛川医師は眉間に寄せたシワをさらに深くして、目を細めるとこう言った。
「それでは、今のうちに介護申請をしてください」
「は?」
「介護申請です」
「介護、ですか」
「そうです。あなたが行くところは医師免許を持ってますか?」
掛川医師の声は冷たかった。
「ええ、持ってると思います。ドクターですけど」
「じゃあ、その方にお願いして今のうちに介護申請をしてもらうのです」
「どういうことですか?」
「身体が動かなくなってから申請をするといろいろと大変でしょうから、今のうちにやっておくといいと思います」
「身体が動かなくなる......と?」
「ええ、そうです。がんが進行していずれそうなります」
掛川医師は言い切った。
「そんなこと......」
「それからですね、これから原発のがんが大きくなります。すると場所が場所なので、胸膜に食い込んで転移します。すると、とても痛ーくなります」
掛川医師は"痛ーく"を強調して言った。
僕は思わず左胸を押さえた。
「それから肺じゅうにがんが転移して、咳が止まらなくなります。常に酷い咳がずっと出ている状態になります」
「咳が......」
「痰に血が混じるようになるでしょう。血痰です」
「血......」
「それから、肺の中のリンパが腫れあがって、声帯を圧迫して声が出なくなります。かすれ声しか出なくなるでしょう」
「......」
「それから、気道にある調整弁がうまく働かなくなり、水分を飲むと気道に入り込んでむせるようになります。間違って水分が気道に入り込むのです。水を誤飲して呼吸困難になることもあるでしょう」
「......」
「それから、身体中がだるくなり、起き上がることも大変になります。そして寝たきりになります」
「......」
「寝たきりになったときに介護申請をするのは大変です。ですから、今のうちにやっておいたほうがいいでしょう?」
掛川医師は僕の顔を下から見上げながら、恐ろしいことを言った。
何も言えなかった。
そんなことは聞きたくなかった。
尋ねてもいないことを言われたくなかった。
僕は言葉を失って黙った。
掛川医師はさらに言葉をかぶせてこう言った。
「刀根さんが当院の治療を受けないということであれば、今後いっさいの診察や経過観察などはいたしません。刀根さんが決めたクリニックでやってください」
僕は気を取り直した。
これは僕に対する挑戦だな。
こいつ、僕に挑戦してきやがった。
よし、その挑戦受けて立とうじゃないか。
生存率3割がなんだ。
絶対にクリアしてやる!
僕は不敵にニヤリと笑った。
「いいでしょう。今までお世話になりました。掛川先生、僕は必ずがんを治します。がんをきれいさっぱり治して、必ずあなたの前にもう一度ご挨拶に伺います。そのときはよろしくお願いいたします」
僕は立ち上がり、強引に掛川医師の手を握ると、診察室から大またに出ていった。
やってやる、やってやる。
あいつをギャフンと言わせてやるんだ。
怖がらせるようなことを言いやがって。
僕に対する脅しか?
自分の治療を断った腹いせか?
負けねえぞ。
絶対に負けねえ。
この戦い、負けるわけにはいかないんだ!
僕は心の中で悪態をつきながら、大またで病院を後にした。