「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった本連載を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
【前回】「まずい、このままだと...!」不思議なワークで体験した「がんを愛する」治療法
治療方針を決める
寺山先生のスマイル・ワークショップから帰ってきてから、いくつか研修の仕事をこなしていたが、研修の翌日には喉が腫れ、痰が絡む。
体調が少しずつ悪くなってきたような気がしていた。
「痩せましたねー」
研修先でそう言われることが多くなった。
肉食を止め野菜中心の食事をすることで、体重が1カ月で3キロほど落ちていた。
咳も少しずつ出始め、胸の真ん中が重く感じることもしばしばだった。
そろそろ何がしかの治療を始めなければ......。
気持ちが落ち着かず、焦り始めた。
「この本、図書館で借りてみたんだけど、もう返していいかなー」
妻が数冊の本を持ってきた。
その中でふと気になった本があった。
読んでみようか......。
何の気なしに手にとって読んでみると、食事によって肺がんが顕著に改善した実例がCT写真つきで出ていた。
これはもしや......。
早速病院の住所を調べる。
クリニックは立川だった。
立川か......杭打ちのときにいったん下車した駅だった。
遠いな......。
立川だと通うのが大変だ。
まあ、説明ぐらいは聞きに行っていいかもだけど。
場所はどこだろう?
住所をスマホの地図アプリに入力する。
クリニックの場所を示す印がついたビルを見て驚いた。
なんと隣があのニッポンレンタカーではないか!
あの日、ニッサンレンタカーを探してさ迷った挙句、結局諦めたときに目の前に現れたニッポンレンタカー。
クリニックはなんとその隣のビルだった。
こんなことがあるんだろうか?
「これは、ここに行けって言ってるんじゃないのか?」
はなはだ非科学的な理由だったが、これが奇門遁甲の示す道なのかもしれない。
僕はこのクリニックの説明を聞きに行くことに決めた。
11月1日、僕の前に現れたクリニックのドクターは学者風の人だった。
このクリニックは食事指導と免疫神経への鍼治療をメインとしていた。
彼は自分の推奨する食事療法のやり方と効果、その理由を3時間にわたって細かく、そして詳しく解説してくれた。
「野菜を食べるのです。それもなるべく生で。調理はしないほうがいいです。肉もいっさいダメです。カニやタコ、イカもダメです。動物性の食品は一切禁止です。調味料も禁止です。砂糖はもちろん、塩もダメです」
「ずいぶん厳しいですね」
「がんを治した人はみんなそうやってます。治りたかったらやってください」
「これで治るんですか?」
「治る、という言葉を医者は言ってはいけないのです。しかし治る可能性はあります、と言うことはできます。刀根さんよりも重症な人が当院の治療で治った実績もありますので」
ドクターはそう言うと、奥のPCの前に僕を連れて行って、過去の患者のCT画像を見せてくれた。
そこには僕より酷い状態のがんが、きれいになくなった画像が何枚もあった。
よし、ここなら......!
「あの......経過観察とか、そういうのをしたい場合はどこかご紹介いただくことはできるのでしょうか?」
僕は今の大学病院で経過観察をしようとは思っていなかった。
なぜならあそこに行く度に体調が悪くなっているような気がしたからだ。
「ええ、大丈夫ですよ。私は代替医療関連の学会で、個人的に東大病院の先生とつながっています。彼は現代医療のトップでありながら、代替医療にも目を向けている素晴らしい先生なのです。もしよろしかったら、彼を紹介することもできますよ」
今の大学病院が全くダメになっても、次の道が見えるということはありがたかった。
「それでは、基本的にこちらでお願いしようと思います。詳しい説明は次回の診察でお願いします」
僕はここで治療をする腹を固めた。
あとは大学病院の掛川医師にどう伝えるか、だ。