「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった本連載を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
【前回】多分年内に死ぬ...。肺がん宣告後、妻と参加した3日間の「不思議なワークショップ」
死神
どうやったらがんを消せるのか?
あの日以来、僕の頭の中にはいつもこの叫び声が鳴り響いていた。
僕は調べた。
徹底的に調べた。
ネットを検索し、本を読み......そして、できることを実行し始めた。
そう、まさに背後は底なしの断崖絶壁なのだ。
このまま何もしないで病院任せなんて絶対にできなかった。
まずは野菜ジュース、がん患者の必須アイテムだ。
キャベツやにんじん、ブロッコリーやりんごなど季節の野菜をミキサーにぶち込み、ドロドロにしたものを1リットル以上、毎朝必ず飲む。
野菜はフィトケミカルという栄養素の高いものを選んで食べることにした。
キノコから抽出されたサプリ。
ひと昔前はアガリクスが有名だったが、今はもっといいものがあるらしい。
僕は冬虫夏草がブレンドされたものを選んだ。
価格が高いが、どうこう言っていられない。
ビタミンC。
キノコのサプリと併用して胃がんを1カ月で消したと聞いた。
即実施。
このビタミンCは途中から飲むビタミンC点滴と言われているアメリカ製のものにバージョンアップした。
服用するタイミングも朝起きてすぐ、昼間、寝る前と三回に分けて空腹時に服用するようにして分量も工夫をした。
身体に入れる水は大切だ。
古代の地層から採取された〝古代水〟をネットで購入。
毎日の水分はこれで摂ろう。
陶板浴で買った抗酸化処理をしてあるブルーボトルに「ありがとう」「大好き」などの文字を書いて水を入れ替えて飲むことにした。
言霊の力は侮れない。
陶板浴で、ノニジュースで胃がんステージ3から寛解した人に出会った。
ノニジュースも定期購入することにした。
マクロファージを強化するLPSというサプリを見つけた。
フコイダンというサプリと一緒に飲むことにした。
ご飯は玄米に。
家族は白米なので僕専用の炊飯器を購入した。
玄米に小豆を入れ数日寝かせることで酵素玄米になった。
これを毎日食べる。
身体によい良質の油、オメガ3を積極的に摂るために亜麻仁油を毎日小スプーン1杯、食事に混ぜて摂取するようにした。
がんを消したというハーブティーを見つけた。
「ジェイソン・ウィンターズ・ティー」という名前のお茶で、ジェイソン・ウィンターという人が自分のがんを治すためにハーブを独自ブレンドしたものだ。
彼自身もこれを飲んでがんを消したと言われている。
もちろん、即購入して実行。
トキさんからもらったミネラルも毎日飲んだ。
このミネラルは特殊な地層から採取したもので、トキさんの説明によるとかなりの治療効果があるらしい。
砂糖やコーヒーなど嗜好品は一切禁止。
もちろんケーキや清涼飲料水などもってのほか。
僕は甘党だっただけに残念だったが、そんなことを言ってはいられない。
身体に入れる食品は常に成分表示を確認し、果糖やブドウ糖などが少しでも入っていたら絶対に口にしない。
小麦粉もやめた。
したがってパンや麺類も一切食べなくなった。
もちろん着色料や添加物の入っている食品も絶対に食べない。
肉類もいっさいやめた。
動物性タンパク質、牛乳や卵、ヨーグルトもいっさい口にしない。
代わりに良質なソイプロテインでたんぱく質不足を補う。
がんを消すためには味などにこだわっていられなかった。
食事は味気ないものになり、単なる栄養補給以外の何ものでもなかった。
あれから陶板浴は毎日朝晩2回必ず通っていた。
毎日2回ずつ時間いっぱい入っていたら、受付の方から注意されてしまった。
「刀根さん、毎回制限時間を全部使っていらっしゃいますよね。これ、実はよくないんですよ。身体が疲れてしまうと、免疫力が逆に下がってしまいます。がんを熱で消すのではなく、身体を温めて、免疫力を上げるために陶板浴はあるのですよ」
それ以降、1回25分程度にした。
漢方のサラ先生から処方されていた漢方薬はもちろん毎日服用し、そのとき教えてもらった湯気を吸うことや顎のマッサージも毎日続けていた。
湯気を吸うことは、後に高性能の加湿器設置に進化した。
他にもカラーブリージングを始めた。
色の呼吸だ。
金色とかピンク色とかをイメージして肺に吸い込み、その色が浸み込んで肺を癒していくイメージをする。
すると不思議なことに呼吸が軽くなるように感じた。
これも日課になった。
先日習った自強法も毎日気づいたときに20〜30分時間を取ってやるようにしていた。
そのときトキさんに教わった氣を高める体操も日課になった。
対策アイテムが一つでも増えることが心強かった。
そして毎朝、必ず体温を測るようになった。
がんは低体温を好む。
35℃台が一番よくないそうだ。
測りはじめたとき僕の体温は36.1℃だった。
どうにかしてこれを36.7℃くらいまでもっていきたい。
毎日の陶板浴のほかに毎日湯船に浸かることにした。
お湯の温度は約40℃に設定し、時計を持ち込んで20分お湯に浸かる。
すると身体の中にヒートショック・プロテインという特殊なたんぱく質が合成されるらしい。
このヒートショック・プロテインが免疫力を大幅にアップしてがん細胞を退治してくれるのだ。
湯船の中でも血行をよくするために念入りに全身を揉みほぐした。
湯船で全身をほぐしながら
「僕は治る、僕は治る」
「僕の免疫力は最強だ、僕の免疫力は最強だ」
と呪文のように繰り返した。
言霊のパワーで自分に暗示をかける。
毎日20分は唱え続けた。
揉むということで言えば、〝爪もみ〟も始めた。
爪の根っこのところにツボがあり、身体の免疫力を上げると言われている。
本で読んだその日から即実行。
腹式呼吸も始めた。
横隔膜を動かして内臓に刺激を与える。
とにかく固まった身体を柔らかくする。
日光浴も始めた。
天気がよい日は必ず20〜30分は太陽の光を浴びることにした。
毎日午後10時には布団に入ることにした。
睡眠中に免疫細胞が活性化すると本で読んだからだ。
早めに寝ることで、免疫細胞が活性化している時間を延ばすのだ。
長年の仕事とジムで疲労が蓄積していたのか、毎日10 時間以上眠ることができたことには自分でも驚いた。
ふとしたときに気分が落ち込むので、CDレンタル店からサンバを借りてきてiPodに入れて聴くようにした。
サンバのリズムで気分を上げろ。
とにかく落ち込んでなんていられない。
「ありがとう」と10万回言ったらがんが消えたという本を読んだ。
よし「ありがとう」を言いまくるぞ。
心の中で「ありがとう」を呪文のように繰り返す。
『ホ・オポノポノ』というハワイのヒーリングの本を読んだ。
そこに書いてあったセルフクリアリングの言葉「ありがとう・ごめんなさい・許してください・愛してます」を心の中でつぶやく。
アロマディフュザーを購入して、部屋の中をアロマの心地よい香りで満たす。
毎日がんのことばかり考え、そしてその対策で1日があっという間に過ぎていく。
がんに追い詰められ、必死にあがき続ける毎日が始まった。
気持ちのゆとりは全くなく、常に何かに追いかけられている。
追いかけてくるのは、そう、死だ。
真っ黒な死神が振り返ると背後で不気味に笑っている。
「無駄なあがきはやめろ。お前は〝どうせ〟もうすぐ死ぬんだ」
「うるさい、僕は絶対に生き残ってやる」
「ははは。無理だな。お前は肺がんのステージ4なんだぞ。生き残れるはずがない。掛川も言ってただろ。そうだな、もってあと数カ月だな。自分でもわかっているんだろう?」
「黙れ!僕は今まで自分の力でなんでもやってきた。今回だって切り抜けてやる。絶対に切り抜けてみせる」
「本気で言ってるのか?がんに逆らうことなんてできないぜ」
「やかましい!」
「無理だよ、無理、お前には無理だよ。お前はガリガリに痩せ細ってミイラみたいになって死んでいくんだ」
一瞬、ガリガリで真っ青になった自分の顔が脳裏をよぎる。
振り払うように頭を振った。
「いや、そうはならない。僕はがんを消してみせる!」
「ほーっ、じゃあやってみろ。どうせお前は死ぬんだ。最後まであがいてみろ」
「見てろよ!絶対にがんを消してお前をぎゃふんと言わせてやるからな」
「楽しみにしてるよ。せいぜいあがけ、はははは」
死神はいつも自信たっぷりに僕の前に現れ、そして消えていった。
くっそうー!
とにかく、やれることは全てやるんだ。
できることは全部やるんだ。
手を抜いたり、後回しになんてできない。
絶対にがんを消すんだ。
生き残ってやるんだ。
ポジティブだ。
意識をポジティブに集中するんだ。
いったんネガティブに意識を持っていったら、あっという間に死神に引きずり込まれてしまう。
24時間、常にポジティブを保ち続けるんだ。
だが悲しいかな、僕は死神の言う通り3カ月後にも生きていることが想像できなかった。
1カ月後ならなんとなく想像はできた。
2カ月先は霞がかかったようにぼやけてくる。
3カ月後になると、自分が生きてこの世に存在していることすら想像できなかった。
まだ9月。
果たして生きて新年を迎えられるのだろうか?
ヤツの言う通りになってし まうんじゃないだろうか?
来年の正月なんて全く想像できなかった。
ふとしたときに襲ってくるこの感覚は、恐怖以外の何物でもなかった。
しかし僕は即座にそれを打ち消すように拳を握った。
「大丈夫、僕は絶対に生き残る」