2016年9月、医師から「肺がんステージ4」という突然の告知を受けた刀根 健さん。当時50歳の彼が「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試してもがき続ける姿に......感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)。21章(全38章)までの「連日配信」が大好評だったことから、今回はなんと31章までの「続きのエピソード」を14日間連続で特別公開します!
入院生活
入院5日目と6日目は土日だったので検査や治療はお休みだった。
翌週の放射線治療に備えて「デカドロン」というステロイド錠剤の服用が始まった。
脳の腫れを抑える薬らしい。
飲み始めてすぐにその効果を体感した。
ものすごく元気がわいてきたのだ。
あの身体のだるさ、鉛を引きずっているような感覚が消えてしまったのだ。
食欲もさらに上がった。
相変わらず胸の中はズキズキ、チクチクしていたし、30メートル歩くだけで息切れもしていた。
股関節や坐骨の痛みは消えていなかったが、身体のだるさがなくなったことは大きな収穫だった。
ドラゴンボールに出てくる仙豆(せんず)みたいだな...こりゃドーピングに使いたくなるはずだ......。
土日はヒマかな、検査も治療もないし......と思っていたら、大間違いだった。
朝からお見舞いがどんどん来てくれたのだ。
時間調整をしなくちゃバッティングしてしまうほどだった。
土曜日の昼食後に来てくれたのは元ボクサーの中野君。
彼は僕のジム所属の選手ではなかったが、9年ほど前にウチの選手と試合をしたことがきっかけで知り合い、その後、後楽園ホールで会うたびに話をしたりしているうちに親しくなっていた。
今は都内のボクシングジムでトレーナーをしていた。
「刀根さん、将棋を指しましょう。一局、お願いします」
中野君は手提げから将棋セットを取り出した。
おお、将棋か......将棋なんて何十年ぶりだろう。
脳腫瘍で、あたま、働くかな?
結果は1勝1敗だった。
将棋が終わると、中野君は神妙な顔つきになった。
「実はちょっと相談したいことがあるんです」
「何?」
「試合が決まっている選手がいるんですが、試合前なのに左手を怪我してしまいまして、舟津って言います」
「あっ、知ってるよ」
以前、僕のジムに出稽古に来たことがある、礼儀正しい好青年だった。
「舟津は左フックとジャブが得意なんです」
ああ、確かに。
以前見た彼は背が高く、リーチも長いボクサータイプだった。
左手が使えないということはつまり、得意なパンチが打てないということ。
「しかもランニング中に足首も痛めてしまって、足もうまく使えそうにありません。なんとか本人に試合を思いとどまらせる方法はないでしょうか?」
中野君の眉毛がハの字になった。
相当心配しているみたいだ。
「そりゃ、やめたほうがいいよ。勝つことはおろか、怪我するかもしれない」
「ですよね、でも本人がやるって言い張って聞かないんです。しかも次の試合、新人王予選で、相手は優勝候補なんです」
「うむむ......」
「会長も説得したんですけど、言うこと聞かなくて」
僕の知っている限り、ボクサーという人種は、基本的にどんなに不利な状況になっても戦うことを選ぶ人たち。
自分が怪我をしたからとか、相手が強いからとか、状況が悪くなったからとか、そういう言い訳を最も嫌う人たち。
だからこそ、周囲の大人たちが冷静に導いてあげる必要があるのだ。
僕は考えつくことを全て中野君に話した。
「わかりました。本人に話してみます」
中野君が帰ったのは、夕食後の午後6時過ぎだった。
ボクシングという世界はいいなぁ。
他人のためにあんなに熱くなれる人がいる。
この件に関して、その後に不思議な流れがあった。
結局、舟津選手は試合に強行出場して強烈なKO負けを喫し、後楽園ホールから救急車で搬送された。
彼が入院したのは驚いたことに僕と同じ東大病院だった。
通常、後楽園ホールから救急車で運ばれる場合は違う病院なのだけれど、当日はベッドがいっぱいで東大病院に運ばれてきたのだ。
それは救急車に同乗していた中野君からの連絡で知った。
その後、親類以外面会謝絶となり、中野君も舟津君とは面会できずに帰宅した。
試合の翌日、僕が診察を待っていたとき、広い待合室の中、たまたま一人の看護師が車椅子に乗った青年を僕の目の前に連れて来た。
なんと、舟津君ではないか。
早速話しかけると、彼も僕がどうして東大病院にいるのか驚いているようだった。
幸いにも、彼は心配していたほどの大怪我ではなく、眼窩底(がんかてい)骨折で手術をするとのことだった。
その日の午後、僕の面会者がロビーまで迎えに来てほしいと言うので、入院棟の1階ロビーに下りると、広いロビーでたくさんの人が行きかう中で、今度は彼のジムの会長さんと彼のお父さんにバッタリと会った。
流れに乗っているときは、こういう偶然みたいな必然が起こるものなのだろう。
これがシンクロニシティっていうらしい。
入院6日目の日曜日には、さらにたくさんの人が来てくれた。
朝一番には、僕が以前、心理学を教えた女性が小豆島からお見舞いに来てくれた。
彼女は、僕を見るなり大きな目を涙でいっぱいにしてハンカチでぬぐった。
「刀根先生......お会いできて嬉しいです」
「大丈夫ですよ、僕は治るっていう確信があるんです。根拠はないですけどね。治ったら小豆島に遊びに行きますから」
「ぜひ来てください、お待ちしてます。絶対ですよ!」
彼女と入れ違いに、また一人元ボクサーがやってきた。
彼も僕のジム所属選手ではなかったが、僕のジムに出稽古によく来ていた縁で仲よくなっていた。
「絶対に治ってくださいね」
「うん、大丈夫だよ」
午後には次男が漫画をたくさん持って来てくれた。
僕が好きそうなマンガを選んで紙袋いっぱいに詰めて持ってきてくれた。
そうとう重かっただろうに。
そして中野君が置いていった将棋で次男と一局。
まだまだ息子には負けられない。
勝負が終わった頃にボクシングジムの真部会長が来てくれた。
「刀根さん、大丈夫ですか?」
唯一のジム休みの時間である日曜日の午後にわざわざ来てくれたのだ。
最近のジムの様子や選手たちの試合の様子を聞いた。
真部会長は翌週の日曜日も来てくれた。
真部会長が帰ってしばらくすると、甥っ子がやって来た。
彼と仕事の話や最近できた彼女の話をしていたら、僕のジムの元ボクサーたちが4人ぞろぞろとやって来た。
白衣の天使たちが行きかう病院の中、やんちゃ系の雰囲気を放出している彼らの違和感は際立っていて、思わず笑ってしまった。
夕方にも心理学を教えた生徒さんたちが、3人来てくれた。
そのうちの一人は岡山から来てくれていた。
ありがたかった。
本当にありがたかった。