涙を流して聞いてくれる人がいる...。舞い込んでくる「がん」の相談/続・僕は、死なない。(34)

「50歳での末期がん宣告」から奇跡の生還を遂げた、刀根健さん。その壮絶な体験がつづられた『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)の連載配信が大きな反響を呼んだため、その続編の配信が決定しました! 末期がんから回復を果たす一方、治療で貯金を使い果たした刀根さんに、今度は「会社からの突然の退職勧告」などの厳しい試練が...。人生を巡る新たな「魂の物語」をお届けします。

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相談を受ける立場に

それからひと月、吉尾さんからの依頼で"法則編"の第1稿を書き上げた頃だった。

退院したばっかりの頃、「捨我得全(しゃがとくぜん)」の言葉を教えてくれた吉井さんから連絡が入った。

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「実は、刀根ちゃんに相談があるんだ。私の親しい人が、がんになってしまってね...そのことで...」

「はい、僕でよろしければ、いつでも」

3月の末頃、吉井さんがその友人の女性を連れてやって来た。

その友人の女性は僕が吉井さんにお世話になっていた頃、何度か挨拶程度の会話をしたことがある人だった。

「ご無沙汰しています、刀根さん、私のこと、覚えています?」

「ええ、もちろんです。でも以前お会いしたときは、もっと...」

「ええ、そうそう、もっと太っていたわね、ははは」

その女性はがん患者とは思えないほど明るく笑った。

「えっと実はね...」

昨年の10月に乳がんが見つかり、手術をしたものの、今月の頭に肝臓への転移の疑いがある、と診断を受けたとのことだった。

「もう、どうすればいいのか、分からなくてね...」

横から吉井さんが言った。

「そこで、刀根ちゃんのことを思い出したんだ。刀根ちゃん、病院の治療の他にもいろいろなことをやっていたよね。そういうこととか、教えてほしいんだ。なにより、ステージ4から生還した刀根ちゃんと話してもらうことが大切だと思ったんだよ」

吉井さんは言った。

僕もそうだった。

生還者と会うこと。

これが一番の薬だと思う。

「はい、僕でお役に立つのなら...」

僕は自分ががん体験で学んだことを話し始めた。

まずは生活習慣や食べ物のこと。

肉はなるべく食べない。

特に牛や豚は厳禁。

食事は野菜を中心に食べること。

小麦粉などの加工食品、牛乳やチーズなどの乳製品も極力避ける。

逆にきのこや海藻、納豆などの発酵食品をたくさん食べて、腸内環境を良くする。

夜は早めに就寝し、10時から午前2時までの身体を修復するゴールデンタイムに熟睡していることを心がける。

がんは35℃くらいの低体温を好むので、身体を温めて、体温を36.5℃くらいまで上げること。

それには入浴が一番手軽。

陶板浴に行けるのであればもっといい。

岩盤浴でなく、陶板浴。

その違いは陶板浴の中の床や壁に使われている陶器の板は特殊な溶液がコーティングされていて、常にマイナスイオンを発しているから、室内にマイナスイオンが満ちあふれている。

その活力のある酸素を吸い込むことで、身体に溜まった活性酸素を除去していくことができる。

こういった知識的なこととともに、やはり一番大切なのは、メンタル、こころの部分だった。

彼女はいろいろな人の人生相談を受ける仕事をしていた。

その献身的な仕事ぶりはすさまじく、料金を取らずにサービスをしたり、深夜遅くまで他人のために走り回ったりする生活を、もう何十年も続けていた。

僕はこうした"生き方"ががんを作り出してしまったのではないかと感じた。

"自分"よりも"他人"を優先してしまう生き方。

僕のときもそうだったけれど、がんは"もうちょっと、自分を大切にしようよ""他人ばかりじゃなく、自分を愛そうよ"とささやくメッセージのように思った。

僕が感じたことを伝えると、吉井さんと彼女は納得したように帰って行った。

それからしばらくして、僕ががんから生還したことを伝え聞いた人たちからの、相談が舞い込んでくるようになった。

それは僕がやっていたボクシング業界の人だったり、心理学を教えていた人の関係だったり、いろいろだった。

次に会った女性は、大腸がんのステージ2と診断されたばかりで、予想外の宣告に頭が真っ白になり、なにをどうしていいのか、という状態だった。

その女性の親族が僕の友人で、そのご縁で僕のところにやって来た。

「私、もうなんだか、よくわからなくなっちゃって...」

「と、言いますと?」

「ええ、なんか他人事みたいな気もして...」

心の機能というのは上手に出来ている。

精神的にあまりにショッキングなことがあると、それを真に受けない、というか受け止めないような防御壁を作って自分の心を守ろうとする。

僕は医者じゃないから、治療的なことは詳しくないし、ましてや指導なんて出来ない。

でも、僕が体験した食事や食習慣に関するアドバイスや、なによりメンタル、精神的なことに関しては話すことが出来た。

話をしているうちに、がんは身体に溜まったネガティブなエネルギーが作り出すという話になった。

僕のがんは、僕の中に溜まった"悲しみ"が作り出したもの、そういう話だ。

僕の体験を語っているとき、その女性が涙を流し始めた。

「刀根さんの話を聞いていると、なぜか、涙が出てきてしまって...」

「いいんです。泣くことは浄化ですから。僕なんて、父親の前でボロボロに泣いていましたからね」

「いま、刀根さんの話を聞いて、私なんだか分かりました。私、ずっと我慢をしてきたんです」

「と、言いますと?」

「私、長女で、いつもしっかりしなくちゃ、弟や妹の面倒を見なくちゃ、親に迷惑をかけないように、私はきちんとなんでもやらなくちゃ、そうやって生きてきたんです」

「...それは、辛かったですね」

「ええ、それが辛い、ということすら、気づいていませんでした。でも、いま刀根さんの話を聞いていて、それが分かりました。私の中にも、そういう"子ども"がいたんです。"もっとこっちを見て""もっと愛して"って言っている子どもが」

そう言って、彼女は号泣した。

「自分を愛すること、それががんからのメッセージだと、僕は思うんです。少なくとも、僕の場合はそうでした」

僕も、もらい泣きしそうになりながら言った。

「ありがとうございます。はい、私、これから自分を愛します。自分を大切にします。もう"いい子"は止めます」

そうって、泣きはらした目でにっこりと笑った。

後日、友人から連絡があった。

彼女は手術も成功し、転移もなく、元気に退院したそうだ。

また、別の日にはまた違う女性から相談があった。

「健康診断で肝臓に影が写っていまして、病院からはおそらく間違いなくがんでしょう、と。そこで刀根さんのことを思い出しまして...」

「そうなんですか、それは驚きましたね」

「ええ、来週、もう一度もっと大きな病院で精密検査を受けることになっています。それまでに何か出来ることや、もしがんだったらそのときに何をどうしたらいいのか、教えていただけたらと、思いまして...」

彼女は頑張る人だった。

その原動力は"負けるもんか!"という「負けん気」と「怒り」だった。

その怒りは時に他人に対する攻撃や、自分に対しての攻撃となって現れたりしていた。

東洋医療、陰陽五行の考え方で言うと、僕の場合の肺は"悲しみ"であったように、"怒り"は「肝臓」に溜まる。

彼女はものの見事に「肝臓」に病状が現れていた。

僕はまた、自分の体験を話した。

特に、感情を外に出すこと、"怒り"を外に吐き出すこと(僕の場合は"悲しみ"だったけれど)を話した。

彼女はとても知性の高い女性で、僕の話をすぐに理解し、納得したようだった。

「はい、分かりました。私の中に溜まっている"怒り"を感じて、吐き出すようにしてみます」

僕は彼女が"怒り"を排出することが出来たら、もしかすると来週の検査ではがんらしきものは消えてしまうかも、と思った。

次の週、彼女から連絡が入った。

「生検で採った細胞から、私の腫瘍は良性、と診断されました。がんじゃなかったです!ありがとうございました!」

最初から良性だったのか、それともあれから彼女が何かをしたことで"良性"になったのかは、僕は分からない。

ただ、良かった、本当に良かった、そう思った。

【次のエピソード】ついに出た、ドクターからの「がんの寛解」 宣言。/続・僕は、死なない。(35)

【最初から読む】:「肺がんです。ステージ4の」50歳の僕への...あまりに生々しい「宣告」/僕は、死なない。(1)


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50歳で突然「肺がん、ステージ4」を宣告された著者。1年生存率は約30%という状況から、ひたすらポジティブに、時にくじけそうになりながらも、もがき続ける姿をつづった実話。がんが教えてくれたこととして当時を振り返る第2部も必読です。

 

刀根 健(とね・たけし)

1966年、千葉県出身。OFFICE LEELA(オフィスリーラ)代表。東京電機大学理工学部卒業後、大手商社を経て、教育系企業に。その後、人気講師として活躍。ボクシングジムのトレーナーとしてもプロボクサーの指導・育成を行ない、3名の日本ランカーを育てる。2016年9月1日に肺がん(ステージ4)が発覚。翌年6月に新たに脳転移が見つかり、さらに両眼、左右の肺、肺から首のリンパ、肝臓、左右の腎臓、脾臓、全身の骨に転移が見つかるが、1カ月の入院を経て奇跡的に回復。現在は、講演や執筆など活動を行なっている。

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『僕は、死なない。 全身末期がんから生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則』

(刀根 健/SBクリエイティブ)

2016年9月、心理学の人気講師をしていた著者は、突然、肺がん告知を受ける。それも一番深刻なステージ4。それでも「絶対に生き残る」「完治する」と決意し、あらゆる代替医療、民間療法を試みるが…。当時50歳だった著者の葛藤がストレートに伝わってくる、ドキドキと感動の詰まった実話。

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