40~50代になって「老後の孤独」が頭をよぎるなら、「心の自立」が足りていないからかもしれません。そこで、「孤独との向き合い方が大切です」という心療内科医の反田克彦さんの著書『孤独を軽やかに生きるノート』(すばる舎)から、「無自覚の寂しさ」への対処法をご紹介します。
誰でも人目は気になるけれど......
私たちが周りの人たちと人間関係を構築していくときには「拒絶される不安」をともないます。
その際、切っても切れないのが他者からの視線です。
人間は人目を気にする生き物です。
ですから、孤独であること自体のつらさより、孤立していることで周りの人にどう思われるかが気になるという人がたくさんいます。
「友だちがいない人だ」と思われるのが嫌だから孤立したくないというわけです。
実際には、自分が一人でいるときに周りの人にどう思われているかはわかりません。
そして、見られている側の自分が、周りの人の視線をどう受け取るかには、そのときの精神状態によって幅があります。
極端に言えば、他者からの視線を「やさしい」ととらえるか、「怖い」ととらえるかです。
見られている視線には3種類ある
看守に常に監視されながら毎日を過ごす囚人にとって、周囲の視線は批判的に感じるでしょう。
同じように常に見られていても、赤ちゃんにとってお母さんに見られていることは安心につながります。
人が他者を見つめるときの視線はいつも同じではなく、相手や状況によって批判的だったりやさしかったりします。
一人でいると他者の目が気になるという人は、「自分は批判的に見られている」と感じていつも緊張しています。
その視線が自分に対して悪意や敵意を向けているかもしれないと感じているわけです。
知り合いがいないパーティーでずっと誰とも話さずにいると、みんなの視線がよそよそしく感じられます。
あたかも、値踏みでもされているかのように。
人が他者をじっと見るときの視線のあり方は、大きく次の3つに分けられます。
・包み込むような「やさしい視線」
・分析するような「冷静な視線」
・批判的な「怖い視線」
「やさしい視線」とは、お母さんが赤ちゃんを見守るときのような視線です。
相手に対して好意を持っているときの視線です。
「冷静な視線」とは、相手に対して先入観や思い入れなく、単に「どうしたのかな」「どんな人なのかな」と興味を持って見ている視線です。
「怖い視線」とは、相手に対して攻撃的な気持ちがあるときの視線です。
相手を批判したり、監視したりして、相手の自由を妨げようとします。
自分の不安を相手の視線に重ねてしまう
この3つは<やさしい視線~冷静な視線~怖い視線>というふうになだらかにつながっています。
そして見られる側が視線をどう受け止めるかは、見る人との関係性によって変わってきます。
たとえば慣れ親しんだ人といるときには、その視線をやさしいものと受け取ります。
見られていると意識することさえないかもしれません。
逆に、あまり親しくない人といるときは、その視線を怖いものと受け取りやすくなります。
自分に対して敵意を持っていたり、非難しようとしている気配を感じたりします。
不安があると自分の不安を相手の視線に重ねて見てしまいます。
「私のことを馬鹿にしているようだ」と思っていると相手のことを怖く感じます。
認知(=考え方や受け取り方)が歪んでネガティブなほうに解釈しやすくなるのです。
一人でいると人目が気になる人は、視線の病に侵されていると言えます。
「友だちのいない寂しい奴だな。きっとつまらない奴だから誰も相手にしないんだろう」と思われるのではないかと考え(妄想し)て、その自分の考えに追い詰められてしまうのです。
イラスト/須山奈津希
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