「病気の名前は、肺がんです」。突然の医師からの宣告。しかもいきなりステージ4......。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。「絶対に生き残る」「完治する」と決意し、あらゆる治療法を試してもがき続ける姿に......感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。21章(全38章)までを全35回(予定)にわたってお届けします。
絶望と治験
9月15日になった。
今日は掛川医師の2回目の診察の日。
前回は僕ひとりだったが、今回は妻や姉と3人で都内の大学病院に向かった。
妻には僕の病状をきちんと理解してほしかったし、姉は妙にカンが鋭いところがあり、イザというときに頼りになった。
予約時刻を2時間以上大幅に過ぎた頃、やっと名前を呼ばれて診察室に入った。
「今日は今後の治療のお話をしたいと思います」
掛川医師は相変わらず眉間にシワを寄せ、気難しそうに言った。
「その前に、今日は妻と姉も来ていますので、もう一度僕の病気についてお話をしていただいてもよろしいでしょうか」
僕が切り出した。
「はい、かしこまりました」
掛川医師はうなずくと、前回僕に話した内容を丁寧に妻と姉に向かって説明し始めた。
「手術はできないんでしょうか?がんのあるところだけ取るとか......」
姉が掛川医師に質問した。
「それはしないほうがいいでしょう。手術をすると体力が落ちます。今はその後の治療のために少しでも体力を維持しておくことが大事なのです。刀根さんの場合はリンパや骨にも転移していますから、手術をして患部を取っても、また別のところに腫瘍ができることが予想されます」
「そうなんですね」
姉は納得したようだった。
「えー、刀根さんは残念ですが、4期ということになっていますので」
「抗がん剤しか治療の方法がないと言われましたが、本当にそうなんですか?最新の治療法とかないんですか?」
僕は聞いた。
「先日申し上げました通り、あれから刀根さんの遺伝子を調べさせていただきました。EGFRという遺伝子について調べましたが、えっと、残念ながら陰性という結果が出ております」
掛川医師は検査結果の書いてある紙を僕たち3人に見せた。
そこにはよくわからない図とともにEGFR陰性という文字が書いてあった。
「従いまして、EGFRのほうに使える分子標的薬のイレッサは刀根さんには使用することができません」
イレッサ、使えないのか......。
僕はネットでイレッサという分子標的薬が肺がんに効くことを調べていた。
有望なその選択肢が今、一つ消えた。
「えっと、もう一つのなんでしたっけ、Aなんとかというほうはどうだったのですか?」
「はい、えー、まずEGFRは肺腺がん患者の約4割が持っているといわれている遺伝子なのですが、残念ながら刀根さんは適合しませんでした。次に調べますALKという遺伝子は持っている人が非常に少なく、肺腺がん患者の4%しかいないと言われています。非常に珍しい遺伝子です。残念ですが可能性は少ないと思ってください」
掛川医師は諦めたように、暗くつぶやいた。
「4%......」
僕の心の中で声がした。
4%じゃ無理だな、絶対に持ってない。
「ALKは調べるのにお時間がかかります。検査は海外に依頼します。あと2週間ほどかかると思ってください。ですのでその結果が出るのを待たずに、まずは治療の方針を決めたいのです」
どうせ無駄だけど、と彼の目が語っているように僕には感じられた。
「2週間、というと10月の頭にはわかるのですか?」
「ええ、その予定です」
「じゃあ、今のところの予定はどういう感じなのですか?」
「はい、来週の中頃には入院していただいて治療を始めたいと考えております」
「中頃、というと22、23日頃ですか?そんなにすぐなのですか?」
「はい、治療は早く始めたほうがいいと思います」
「このままだと、抗がん剤の治療になると言われましたが、抗がん剤って本当に効くのですか?」
「わかりません。やってみないとわかりません。肺がんは抗がん剤が効きにくい難しいがんなのです。お薬が効く可能性はおおよそ4割です」
掛川医師は厳しい顔で言った。
それは彼が今まで経験してきた過酷な治療を想像させるものだった。
「4割、というと6割は効かないということですか?」
「はい、残念ながらそうです。もし仮にお薬が効いたとしても、いずれ必ずがんが耐性を持ち、抗がん剤が効かなくなります。となると、次のお薬に変えていきます。そのお薬も効く確率は4割です」
「......」
掛川医師の話を聞いているうちに、目の前が暗くなってきた。
抗がん剤が効く可能性が4割で、それが効かなくなって薬を変えても次の薬も効く可能性は4割。
ということは、つまりだ、いずれ近い将来、抗がん剤が効かなくなって死ぬか、抗がん剤の副作用で死ぬか、どっちかしかないってことじゃないか。
「仮に最初のお薬が5カ月効いたとして、次のお薬が2カ月、その次が3カ月......残念ながら、そうやって延命していくしかないのです」
掛川医師は僕から目を離すと、ふーっとため息をついた。
それはがんに対する無力感を表す敗北宣言のように、僕には感じられた。
全部足しても、1年にならないじゃんか。
「治らないのですか?」
「治りません」
掛川医師はうつむいたまま、きっぱりと言い切った。
きっと彼の言っていることは本当だろう、彼の経験の範囲では。
「今のところ、刀根さんの治療で使う予定の抗がん剤はアリムタというものか、シスプラチンというものを考えています」
「シスプラチン!」
この抗がん剤の名前は知っていた。
寺山先生の本にも出てきた薬だ。
寺山先生の本によると髪は抜け、吐き気はすさまじく、身体は痩せ細っていく......そんな薬だった。
いやだ、絶対にやりたくない。
「ただし、当院では製薬会社と協力して治験というものをやっております」
「治験......ですか?」
「はい、最新の治療なのですが、まだ保険診療が降りておりません。保険診療が降りるよう、たくさんのがん患者の皆様にこの治療に参加していただいて、実績を作っているのです。ご興味がありますか?」
「もちろんです」