定年退職の後や年金受給の時期など、考えなければならないことが山ほどある「老後の暮らし」。哲学者・小川仁志さんは、これから訪れる「人生100年の時代」を楽しむには「時代に合わせて自分を変える必要がある」と言います。そんな小川さんの著書『人生100年時代の覚悟の決め方』(方丈社)から、老後を楽しく生きるためのヒントをご紹介。そろそろ「自分らしく生きること」について考えてみませんか?
情報は使い捨てできるかが問われる時代
人生100年時代の知に対する考え方はどうなるでしょうか。
スローガン的にいうなら、蓄積型から使い捨て型への転換が必要だと思います。
これまでは知は蓄積していくものだと考えてきました。
だから大量に暗記することが余儀なくされたのです。
学校教育でも受験でも。
でも、そもそもインターネットのおかげで、知識はいつでもどこでも瞬時に入手できるようになりました。
それに時代の変化があまりにも速いので、それに比例して知の耐用年数がものすごく短くなっているのです。
したがって、せっかく苦労して暗記しても、それが有効である期間はたかがしれています。
それなら、知を蓄積するのではなく、必要なときに手に入れては捨てていくほうがいいということになるのです。
だいたい知識を100年間も大量に詰め込み続けるのは無理です。
より積極的な理由を挙げると、このAI時代にあって、人間がやるべきことはもっと創造的であるべきです。
知識を蓄積するのはコンピューターに任せて、人間は創造的思考にこそ力を入れるべきなのです。
だから本を収集しても仕方ありません。
百科事典が売れなくなったのもそうした理由からです。
インターネット上で情報が頻繁に更新されるため、紙の分厚い本を持っている必要がないからです。
情報はその場でネットで手に入れ、その場で捨てていく。
かつて情報化社会では情報の取捨選択能力が大事になってくるといわれましたが、人生100年時代には、いかに情報を使い捨てできるかが問われてくるのです。
本は情報に接したときの記憶が佇む場所
ただし、モノとしての本が不要かというと、まったく違います。
情報を得るという目的ではなく、本は別の目的で収集し、手元に置いておく必要があると思うのです。
それは記憶としての目的です。
本がネット上の情報と異なるのは、モノとしての存在意義がある点です。
しかも単なるオブジェではなく、情報を持ったモノです。
本はモノであるがゆえに、個性を持ちます。
つまり、いつどこで、どんなシチュエーションで自分と出逢ったかということです。
何千部、何万部と印刷された同じ本の中から、私たちはたった一冊を手にすることになります。
それはもう運命的な出逢いといっていいでしょう。
自分が手にした瞬間から、その本はこの世にたった一つの存在になるのです。
私の手元には、文庫版の哲学の古典がたくさんあります。
その中でも、ルソーの『社会契約論』は特に古びています。
あれは本格的に哲学に興味を持ち始めたときのことでした。
ある日突然、古典に挑戦したくなったのです。
でも、いきなり分厚い本を読んでも挫折しそうだし、何より当時は市役所に勤めていたので、電車での通勤時に読むつもりでしたから、薄い文庫のようなものがいいと思って選びました。
たったそれだけの理由です。
でも、その時のことを克明に覚えています。
市役所に入ったばかりで、同期の友人が私のカバンにこの本が入っているのを見て、「え、こんなの読んでるの?」と驚いていたのが印象に残っています。
しかもわからないところにびっしり線が引いてある。
今見ると、おかしなところに線が引いてあったり、トンチンカンなコメントが書き込まれているのですが、これこそが記憶なのです。
その記憶は今の私につながっていて、ページを開くと、当時の疑問が今の理解にどうつながっているかがよくわかります。
このように、本はその情報に接したときの記憶が佇む場所なのです。
それはネット上の情報にはありません。
だから記憶を残したいときには本が必要なのです。
知識を蓄積するためではなく、記憶を残すために。
人生100年もあれば、色んな思い出が生まれるはずです。
本はその思い出のいくつかを彩ってくれるはずです。
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哲学者が語る20の人生訓や新時代への考え方など、人生を豊かにしてくれる言葉が全5章にわたってつづられています