<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ちもちも
性別:女
年齢:52
プロフィール:子育てはほぼ修了。勝手気ままに暮らしたい、海外旅行大好き主婦です。
20年くらい前のことです。わたしも主人も30代前半でした。待望の子どもも誕生しました。新婚の頃からしょっちゅう来ていた当時50代半ばの共働き義父母は、孫の顔見たさに毎週末のように我が家へ泊りがけでやって来るようになりました。
こちらの都合はお構いなしで、突然金曜の夕方電話をしてきて「今から行っていいか」と言います。「いいか」と一応聞いてはいるものの義父母のなかではもう決定事項なのです。次の日仕事だからと言えば、なら孫の面倒を見てやると言い、遊びに行く予定があると言えば、ならあなたたち夫婦だけで楽しんでらっしゃい、孫の面倒は任せなさいと言う、つまりわたしたちに拒否権はないのです。かなりの強引さに夫も辟易してはいるものの、義父母に対して強く拒否するようなことはしてくれず、わたしは1人モヤモヤしていました。
そしてその週末をどう過ごすかと言えば、義母は孫を連れて公園やショッピングモールで1日中過ごし、することもなく手持ち無沙汰な義父は1人では慣れない土地だということもあって、必ず夫を誘ってのパチンコ通いです。
残されたわたしは皆が帰ってくるまで家の片付けをし、食事の支度をしていつ帰るかもわからない人たちをただ待っているだけ。1人で遊びに行くことなどその当初は考えもしませんでした。そうして義母はわたしの趣味ではない子ども服を買い、おもちゃを与え、義父と夫は時にはパチンコ屋の閉店まで帰ってきません。
なんとも不毛な気持ちを夫に伝えても、たまのことだからと大したことないように言われ、月に2度3度と来られて何がたまのことなんだと争いごとに発展することもしばしばでした。あの頃は義父母が原因での夫婦ゲンカが絶えませんでした。
これは、子どもが中学生になり週末もクラブや塾、友人との約束などで忙しくなるまで続きました。
その間に、私のほうにも変化がありました。義両親に子どもと夫をとられたように感じて空虚な気分でやるせなかったのですが、人は慣れるものですね。何年か経つと、束の間の子育てからの解放に喜びを感じるようになりました。その時間を利用して久しく会っていなかった学生時代の友人とも会い、楽しいひと時を過ごす機会も持てました。夫も高校卒業後進学のために家を出て、両親と離れて暮らす期間が長かったので、義父とのパチンコ通いは親子水入らずで過ごせる貴重な時間だったのかも、と前向きに考えられるようになりました。それは義父が鬼籍に入ってからは余計に懐かしく思える出来事でもありました。
現在は子どもも大きくなり、あんなに可愛がってもらったおばあちゃんなのに疎ましそうな物言いをします。それを見ると、孫を可愛がれる期間は短いものなのだな、あの時期に頻繁に過ごさせてあげられて良かったのかな、と思えるくらいになった今日この頃です。
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