<この体験記を書いた人>
ペンネーム:貧乏暇なし
性別:女
年齢:53
プロフィール:離婚して14年。シングルマザーで息子を育てる貧乏ママです。
建築業の元夫と結婚したとき、フルタイムで働く夫婦だった私たちのお財布は別々でした。家賃は元夫、光熱費と食費は私と、固定費は同じような金額になるように分けて2人で支払い、お給料の残りは各自管理していました。
結婚5年、子供が3歳になったとき、義理の両親宅の近所に4千万円弱の中古のマンションを購入しました。
小さな建設会社で働く元夫は、昼は現場監督、夜は配管などの設備設計をして昼夜なく働き、私もフルタイムで働いていたため、義理の両親が保育園に預けていた孫を「ちょっとでも見てあげたい」と言ってくれて、決めたマンションでした。
マンション購入から1年が過ぎたある日のことです。登記簿がネットで閲覧できることを知り、自宅マンションの登記を面白半分に見て仰天しました。
第1抵当に銀行から借りているローン、第2抵当にはテレビでよく見る「サラ金」の業者名が記載されていたのです。全く意味がわからず、目の前が真っ白になりました。
元夫に「借金してないよね?」と聞くと「そんなもんするわけない」といわれました。
ですが、私も全く預かり知らぬこと。他人が勝手に家を抵当にいれたのか!? と恐ろしくなり、印刷した登記簿を元夫に見せたところ、元夫の顔色がみるみる青くなりました。
私は驚愕と怒りからか、手足が異常に冷たく寒くて震えていたのを覚えていますが、何を話したのかは覚えていません。
翌日、義理の両親を呼んで借金の話を伝えたところ、泣きだす義理の母。
元夫は大学生の頃から借金癖があり、社会人になってからも義理の両親が元夫の借金を肩代わりしていたようです。
知らなかったのは私だけでした。
借金の額は2千万、小さな借金を「おまとめローン」なるものでまとめた結果、マンションを抵当に入れなければならなくなった。借金の理由は、夜も働いていると言っていたが、実は友達と酒を飲んでホテルに宿泊していた。土日は仕事ではなく競馬、競輪に行っていた、と開き直る元夫。
ここまで聞けば十分。私は早く別れようという思いだけでした。
しかし「息子と離婚しないでほしい」「借金は自分たちが返済する」「もう息子に借金はさせない」と泣いて訴える義理の両親と「もう嘘はつかないし借金もしない」という元夫の神妙な顔を見て、その日は結論を出せずに終わりました。
その後のお正月。
私は仕事で、元夫と息子が義理の両親宅に新年の挨拶に行きました。家に帰ると義理の両親がお正月のお料理やお菓子を持たせてくれていました。息子が「お爺ちゃんとお婆ちゃんに買ってもらった!」と喜んで遊んでいるおもちゃや心づくしのお料理を見ると胸が痛くなりました。
バカな息子を持った可哀そうな義理のご両親。このまま私が我慢すれば丸く収まる......元夫の借金癖も今度こそ直るかも......。
そう思っていた矢先、義理の両親から電話で「孫へのお年玉の中に、あなたのお小遣いも入っているから」と言われました。そこで息子にお年玉もらったの?と聞くと「パパが持ってる」と。
元夫に息子のお年玉はどこに行ったのか聞くと「車の中に忘れてきた」「上着のポケットに入っている」と言ってお年玉は行方不明に。
息子が祖父母からもらったお年玉を平気で取り上げる親が目の前にいる。
自分が選んだ男がそんな男だった。
はらわたが煮えくり返り、義理の両親がくださったお料理やおもちゃを思うと、自分勝手な元夫に殺意さえ湧きました。
義理の両親には本当に申し訳なかったのですが、平気な顔で嘘をつき、責めると開き直る元夫とこれ以上一緒にいることはできません。翌日、元夫に離婚届書かせて役所に提出、息子を連れてそのまま家を出ました。
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