<この体験記を書いた人>
ペンネーム:gaspal
性別:女性
年齢:42
プロフィール:私(42歳)、夫(53歳)、小学5年生息子の3人暮らし。共働き家庭。時短で美味しい料理作りに、はまり中。
2022年11月、コロナの第8波が我が家を襲いました。
小学5年生の息子のクラスが学級閉鎖になったときから、次はうちかもしれないと思っていたら、見事に不安は的中。
まず、最初に息子が罹患しました。
息子が治り、待機期間も終わって「やっと明日から登校できる」と思った夜、夫が39℃の発熱。
夫は陽性で、息子は「濃厚接触者」に当たるので、再び登校できなくなりました。
夫の看病や消毒、登校できない息子の課題を見つつ、家事や在宅仕事をした私はもうヘトヘト。
それから数日が経ち「やっと明日から息子が登校できる」と思った日の夕方、今度は私が40℃の発熱。
検査結果は陽性...。
息子は基礎疾患もあり大事をとったので、結局のところ3週間も登校できませんでした。
このとき、本当に困ったのが買い物です。
我が家は駅から徒歩5分、スーパーまで徒歩10分と、比較的利便性が良い立地のため、自家用車は持っていません。
「食品購入のための外出は可能ですよ」
検査センターからそう言われても、買い物に行く手段がなかったのです。
また、我が家の「配達可能地域」のネットスーパーもパンク状態で利用できませんでした。
災害用に飲料や食品を常備、ローリングストックしていましたが、高熱と強い喉の痛みで、レトルトカレーやカップ麺は喉を通りません。
そんな我が家の危機状況を救ってくれたのは友人たちでした。
その中でも特にKさん(50代前半男性)、Jさん(60代前半男性)、Rさん(50代前半女性)の3人には本当に助けられました。
Kさんは出勤前後に何度も買い出しをしてくれました。
喉の痛みがひどいと知ると、薄味のお弁当を買って何度も届けてくれました。
また、仕事が休みの日もKさんはご自宅から買い物に行き、お惣菜などを買って我が家まで届けにきてくれました。
さらに、すでに元気になった読書好きの息子が退屈しないようにと、本も数冊一緒に入れてくれていたのです。
Jさんは料理の手間がいらない焼き魚や煮魚を何度も届けてくれました。
茶碗蒸しやお豆腐、ヨーグルト、パック式のスープなども食べやすくて助かりました。
電話で「今、玄関にダンボール箱に入れて置いたからね」の声に私は泣きそうでした。
Rさんは女性ならではの気遣いにあふれていました。
水が不要のシャンプーや、「お風呂は無理だろうから」と身体が拭ける大判の使い捨てのウェットティッシュ。
介護用に使い捨ての看護用ポリ手袋、ポリエプロンを、仕事の休憩時間に郵便局まで行って郵送してくれたのです。
他の同僚や友人も「必要なものがあったら持っていくよ」「遠慮せずに言ってね」と申し出てくれました。
周りの優しい友人、知人のおかげで何とか家庭内コロナ禍を乗りきった我が家。
Kさん、Jさん、Rさんにはいつの日か恩返しをしたいと思っています。
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