皆様こんにちは、『ぼっちシニアの幸せ探し貯金日記』の管理人"くるぴた"です。
ここでは昔、結婚生活中に起こった「おいおい、ちょっと待て」と思うような出来事などを中心に書いていきます。
【前回】「10万円以上したの」義母がくれた高級コート。長年着ていないけど捨てられなくて.../くるぴた
結婚生活中に住んでいたマンションは、元夫が結婚前に買ったものでした。
頭金ゼロで、35年ローンで買っていたようです。
すでに30代後半に差し掛かった頃にそんなことしたら、70歳過ぎまでローンが残っています。
私自身は、一人暮らしの時はセキュリティこそ気にしたものの、間取りはワンルームや1Kばかりで、あまり広さにはこだわっていませんでした。
それよりフリーで働いていたため、収入が不安定で身の丈に合わない生活をすることの方に不安があったものです。
そんな私から見ると、元夫の老後も続くローンは理解できないものでした。
もしかしたら購入当時、夫はバツイチになった直後だったので、別れた奥さんへの当て付けというか、自分にはこれだけ甲斐性があったんだ、と見せつけたい気持ちがあったのかもしれません。
元夫のローンの返済額は、最初の10年は月7万2,000円で、それを過ぎると月6万2,000円。 それとは別に修繕積立金と管理費を合わせて月1万6,000円。
固定資産税は年に15万円程度かかっていました。
全部ひっくるめて平均すると、最初の10年は月に10万円、その後は9万円程度と言ったところでしょうか。
札幌で一人暮らしの人がかける住居費としては、高い方だと思います。
ですが、働き盛りの男性ならそこまで難しい金額でもなかったはずです。
むしろ倹約をして時々繰り上げ返済などをすれば、70歳よりも早く支払いは終わっていたでしょう。 ......普通なら。
夫がマンションを購入して約5年後、私がそこへ転がり込むような形で同居が始まりました。
最初、生活費の分担は、食品や雑貨等に使った費用と、水道光熱費を合計して、等分してそれぞれが負担し、住居費に関しては元夫が払うという形でした。
しかし2年も経つと、夫は仕事の不調を理由に、水道光熱費の支払いは分担せずに私が担当することになり、そのうち食費や雑費も私持ちになりました。
そしてローンや固定資産税を滞納して、家に督促の赤い封筒が届くようになり......
結果、生活費のほとんどが私の負担になり、家のローンすら時折私に払わせる月が出始めた頃。
私は元夫に1つの提案をしました。
私がローンを負担した分、家を共有名義にして欲しいと言う提案です。
もちろん半々でなんて言いません。
夫が払った分と私が払った分が、不公平にならない割合で、と。
何故かと言うと、元夫には前の結婚で、息子さんが1人います。
もし元夫が先に亡くなった場合、その子に残す財産はマンションしかありません。
そうなるとマンションは売却して、その息子さんと分けることになります。
その場合、私がかなり負担しているのに、それを無かった事にされると困るからです。
しかし夫はそれを良しとしませんでした。
手続きが面倒だと言うのもあるし、自分の城が自分1人のものでなくなる事に、かなり抵抗があったようです。
だけどそれなら自分でローンを払ってもらいたい。
それ以前に自分の食い扶持は自分で払ってほしいと言う気持ちが、どうしても拭えません。
元夫には目の前でものを壊すといったDVなどもあり、飼い猫への暴力も発覚して、その後はもう離婚へと進むしかありませんでした。
先日、当時住んでいたマンションの近くを通りかかりました。
この建物を見ると、思わず自分が住んでいた階を気にしてしまいます。
しばらくの間、ずっと変わらなかったのが、今年になってブラインドが外されていて、あーとうとう売ったんだなぁとしみじみしていたものです。
それが、この時、窓に見知らぬカーテンが掛かっていて、あの部屋が完全に人手に渡ったのだと知りました。
売っただけの状態の時にはまだ「そうか」と思う程度だったのが、他の人が住んでいるのを目の当たりにすると、あの部屋で起こった楽しいこと、辛いことをひっくるめた思い出が、完全に過去のものとして消え去ったのを実感します。
なんともやるせないような、切ないような、たまらない気持ちになって、俯くようにしてその場を去りました。
元夫はあの窓を見て、どんな気持ちになっているだろうかと少し思いましたが、それもこれもあの人が選んだ道なので、仕方がありません。
時の流れには誰も逆らえず、人も物もずっとそのままではいられないんだと思いながら、帰宅の途につきました。
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。