週末しか会えない両親。小学2年生の私は小銭を握りしめて家出...向かった先は

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:ひろえもん
性別:女性
年齢:58
プロフィール:3匹のねこと夫と海辺の街で暮らす普通の関西のオバちゃんです。

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約50年前、私たち家族は祖母の家に住んでいましたが、私が小学2年生、姉が6年生の頃に両親だけが仕事の都合で別のマンションに引っ越しました。

祖母の家のほうが校区も良かったですし、共働きの両親が子どもの面倒を見るのは大変だという理由で、私たち姉妹は祖母の家に残ることになったのです。

祖母との生活は穏やかで、新鮮な野菜を中心とした毎日の手料理や行き届いた掃除、縁側でのゆったりとした会話など、忙しい両親と暮らしていたらおそらく体験できない幸せを享受していました。

しかし、両親と離れて暮らすのは、やはり小さい子どもにとってつらいものです。

祖母からは十分すぎるほどの愛情をもらいましたが、家出を何回繰り返したかわかりません。

小学2年生がお気に入りのタヌキのぬいぐるみと小銭を握りしめ、記憶だけをたどって電車に乗り、両親がいるマンションまで行くのです。

マンションに着いても両親が留守の時は屋上で一人、パンをかじりながらひたすら待ちました。

今思えば、犯罪者などに遭遇しなかったのは非常に運が良かったのだと思います。

毎週末、父はたくさんのプレゼントを抱えて祖母の家にやって来て、長期の休みには必ず両親の家に遊びに行っていました。

ただ、当時は両親が自分たちを捨てて出て行ったという気持ちを拭いきれませんでしたし、会いたいという真っすぐな気持ちが非常に強かったことも覚えています。

そんな両親でしたが、会った日は一日中、なんてことのない会話をして過ごしました。

その中でも父が「子どもができて初めて仕事を頑張ろうと思った」という言葉は今でも心に残っています。

「あんたは橋の下で拾てきてん」

「姉ちゃんはかわいくてみかん箱の中にちょこんと座ってる姿思い出すけど、あんたは全然思い出せんわ」

いつも憎まれ口ばかり叩いていた母が「あんたの手、ホンマにお父さんにそっくりやわ〜」と満面の笑みを浮かべながらうれしそうにつぶやいたことも、長い年月の中、色褪せずに心に残っています。

山のようなプレゼントは何だったのか、何一つ思い出せないのに、そんな何気ない言葉は覚えているのです。

しかも、数ある言葉の中から、子どもながらに自分の心の穴を埋めるのにピッタリの言葉を探し当てたのだと思います。

愛情とは何か?

子どもがお金に困らないようにすること、いい学校に行かせることも確かに愛情かもしれません。

ただ、私が寂しい子どもだったからこそ、子どもの心を孤独感から救うのは、そういう何気ない言葉のかけらなのかもしれないと感じるのです。

私の中では、なんてことのない雑談の時間をひたすら作ってくれたことが、両親の最大の愛情だったのかなと感じています。

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