性別:女
年齢:54
プロフィール:ある程度の年齢になると、体の所々から悲鳴が聞こえてくるようです。健康に毎日を過ごしたいですね。
※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。
◇◇◇
私がまだ40歳くらいの頃、私と家族が同時に体調を崩したことがありました。それは、私が旅行先でホテルのプールに入った後、過呼吸発作を起こしたのがはじまりでした。本当にそのまま死ぬんじゃないかと思うくらいに苦しんだこと、今でも忘れられません。
私は久しぶりのプールで疲れてしまったようで、その日の夕方乗った車の後部座席で発作が起きたのです。20分ほどでおさまりました。旅行から帰って来て、心臓外科で精密検査を受けましたが異常なし。
あれは一体何だったのかと思いながらも日常生活に戻った直後、今度は両親の具合が悪くなりました。
母が胸の痛みを訴えたり、父が肺炎で入院したりで、同じ時期に二人とも入院。私は発作になった時のことを考えると怖くて自分では車の運転ができなくなり、両親の入院していた病院に電車で通いました。
面倒なことに父の入院先は東京で、母は横浜市。車がないと1日に2件の病院に行くことはできませんでした。父の入院も母の入院も1カ月以上にわたり、私はその間、洗濯物を取りに行ったり届けたり。
その間も、何度か過呼吸発作を繰り返しました。悩んだ挙句精神科に行くと、それがストレスから起こる発作だということを説明されました。病名はパニック症候群。仕事をしながらだったので、自分が思う以上に疲れていたのでしょう。
特に私の場合は閉所が危険ということで、窓のない個室や車の後部座席は気を付けるようにと言われました。そのため、両親の病院に行くと、ちょっと面会しては外の空気を吸いにいくことの繰り返し。医師からは「十分に睡眠をとるように」と言われました。
両親の態度は両極端で、父はまるで子供のようになってしまい、家族に会えない日があると寂しそうでした。母の方はというと、元々口の悪い人なので、ずっと悪態をついている状態。私が病院に行くと「あんた何でいるの? あんたがいると眠れないんだけど」と言われ、迷惑そうな態度をとられたこともありました。
私は心の中で「感じが悪いな」と思いながら通い、さらにストレスが溜まっていきました。
子供がまだ小学生だったこともあり、やらなければならないことが山積み。それでも日曜日になると、娘を連れて父のお見舞いへ。
でも、いいこともありました。父は孫が大好きで、私の娘に「お前に会えるんなら、ずっと入院していてもいいな」と、嬉しそうだったのです。
母の悪態には困ったものですが、父が嬉しそうな顔をしていたので、それだけで私の心が癒されていきました。父が元気な時にはそんなにも会いに行くことが無かったので、「退院したら、もっと会いに行くわよ」と私が言うと、父はさらに嬉しそうに「じゃあ、早く元気になって退院しなきゃな」と言い、それから病状が良くなり、すぐに退院することができました。
その後、態度の悪い母も退院し、私の症状もお薬の力を借りながら改善していき、普段の生活を取り戻していきました。短い期間ではありましたが、家族の病気が重なるとあんなにも大変な思いをしなければならないのかと、本当にうんざりしました。
唯一、父の嬉しそうな顔だけが、いい思い出として残っています。
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