単身赴任中の夫がくも膜下出血。49歳で早すぎる突然の別れ

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ペンネーム:ちまゆ
性別:女
年齢:47
プロフィール:平凡だけど幸せに暮らしていた2児の母です。40代で大変悲しい経験をしてしまいました。義母の認知症で介護施設探しも。山あり谷ありの人生ですが、今はたくましく生きています。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

2015年の出来事です。

4月の朝9時頃、新潟に単身赴任していた夫(49歳)の会社から東京の自宅に連絡があり、「○○さんが急に倒れて意識不明です。すぐに新潟に来てください」と言われました。


心底驚き、どういうことなのか具体的に教えて欲しいといったのですが、その時は詳細がまだ分かりませんでした。

不安な気持ちを抱えて慌てて新潟に行く支度をし、娘と一緒に新幹線に飛び乗りました。

食べ物も水分も喉を通らず、生きた心地のしないままうなだれていた私を、まだ15歳の娘が「パパは大丈夫だよ。きっと一時的なものだよ」とずっと気丈に励ましてくれていました。

 

16時くらいだったでしょうか、新潟の病院に着き、集中治療室で寝ている夫と対面しました。

私たちは夫の名前を呼び、一生懸命何度も話しかけましたが、何の反応もありません。

まだ49歳で、昨日まで普通に食事をし、話したり笑ったりしていたはずの夫の姿に、私はショックで立ち上がれなくなり過呼吸になってしまいました。そして、なんとか過呼吸がおさまったあと、MRI画像を見ながら医師から説明を受けることになりました。

「ご主人は、くも膜下出血です。発症して早い段階で意識を失い、2時間位心肺停止状態でした。救急隊や医師の処置で何とか心臓は動き出しましたが、脳はかなりダメージを受けていて、もう手術は出来ません。ほぼ脳死に近い状態です」

私たちは目の前が真っ暗になり、何度も「回復する可能性はないのですか?」と聞いていました。

医師は「たぶんないかと・・・。今夜が山場なので、親族に連絡をして下さい」と言いました。

そう言われてもやはりすぐには信じられないのです。

意識が戻ることを願いつつ、でも一方では現実を受け入れなければと、意外と冷静にインターネットで葬儀屋を探している自分がいました。

 

その日の夜は病院に泊まり、娘と交互に話しかけ音楽を聞かせていました。何とか朝を迎え、お見舞いの方々が訪れてくれました。

病院からは臓器提供はどうしますか?と聞かれたのですが、夫は意思表示をしていなかったので提供はしませんでした。しかし後から思うと、臓器提供した方が臓器が必要な人の中で生き続けられたかも知れないと、今では後悔しています。

この先どうするかを家族親族で話し合った結果、一週間後が夫の誕生日でしたので、50歳にしてあげてからお別れしようと、病院に延命をお願いしました。

本当は誕生日までの一週間そばにいてあげたかったのですが、子供たちの学校がある関係で私たちは一旦東京に戻り、夫を病院に託すしかなかったのが辛かったです。

その一週間はとにかく無事を祈り、まだ奇跡を信じていました。でも一方で葬儀の事も考えなくてはならず、棺に入れる思い出の物、今まで家族で撮り貯めた写真を一枚の紙に娘とまとめてプリントしたり、家族でこれからの事を話し合いました。

夫を無事に送り出してあげないといけないという責任感、使命感からなのでしょうか、この時私の身心は疲れ切っているはずなのに、不思議と良く動いていたのを覚えています。

何より、とにかくまた夫に会いたいと強く思っていました。

 

夫の誕生日の前日に新潟の病院に戻り、私は夫の頭、手足を洗い、体を拭いてあげました。

この一週間は容態がずっと落ち着いていたようです。もしかしたら夫も私たちが新潟に来るのを最後の力を振り絞って待っていたのかもしれません。

そして私たちの願いが通じ、夫は家族、親族に見守られ50歳の誕生日を迎えてから静かに息を引き取ったのでした。私は44歳、息子19歳、娘15歳と、あまりにも早いお別れとなってしまいました。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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