<この体験記を書いた人>
ペンネーム:やまと
性別:女性
年齢:42
プロフィール:夫と二人暮らしの主婦です。
約20年前、認知症になった母方の祖父(当時80代)が肺炎で入院しました。
その頃の母(当時50代)は自身の更年期障害などもあり、祖父とは年に数回会うだけの関係でした。
祖母から祖父が入院したと聞いて病院に駆けつけた母は、祖父の状態を見てびっくり。
祖父は肺炎以外にも認知症がかなり進んでおり、まるで子どものようになってしまっていたのです。
病院には私や母など、親族が代わる代わる看病に行っていましたが、看病に行くたびに母はとても落ち込んでいました。
祖父はもともと真面目で厳格な人でした。
歴史や仏教の本を読むことが好きで、冗談を言ったりふざける姿を見たことがありませんでした。
そんな祖父が、病室のベッドの上ではニコニコ顔。
母は、祖父が「今日はお天気がいいですね〜」と言ったり、カセットテープに合わせて歌を歌ったりしているのを見るのが本当につらいようでした。
「私がもっと頻繁に会いに行っていれば...。近くだからって兄さんに任せっきりにしていたけど、兄さんもお義姉さんもこうなるまで放っておくなんて...」
「私に連絡をくれればよかったのに...。でも兄さんも連絡しにくかったのかしら...きっと私が悪かったんだわ」
母はそう言い、いつも自分を責めているようでした。
私が「歳を取ったら認知症になるのは仕方がないよ」と言っても、「でもね、でもね」とマイナスなことばかり言うようになりました。
そんなある日、遠い親戚が息子(当時幼稚園児)を連れてお見舞いに来てくれました。
「遠くからよく来てくれたね、でも、おじいちゃんはすっかり変わっちゃって、もう○○くんとお話できないかもしれないの。ごめんね」
母は申し訳なさそうにしていましたが、祖父を見た男の子はこう言いました。
「うん。おじいちゃん、違う人みたい。でもニコニコして歌を歌ってて幸せそうだね。ぼくも一緒に歌いたいな!」
純粋な男の子にしてみれば、以前の厳しい祖父よりも認知症になった今のほうが幸せそうに見えたようです。
「え!? 幸せそう?」と母は驚いていました。
しかし、男の子の言葉が、母の考え方を変えたようです。
何日か後に母と話したとき、このようなことを言っていました。
「あれから考えたんだけど、おじいちゃんはずっと家族のためにがんばってくれて、今やっと力が抜けたんだと思う」
「若い頃は戦争に行って、戦争から帰ってきてからも貧しい中で私たちを育てるためにがんばってくれて、歌を楽しむ余裕なんてなかったんじゃないかしら」
「だから、認知症になったのは神様からのプレセントなのかもしれないね」
小さい子どもの無邪気な言葉で母の心は楽になり、祖父の認知症を受け入れられるようになりました。
それから数カ月後、祖父は亡くなりましたが、母は最後まで看病し納得のいく看取りができたようでした。
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