亡き叔母の意思はどこへ...大叔母の「鶴の一声」で決まった遺産相続

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:みわちゃん
性別:女性
年齢:61
プロフィール:ドラマなんて現実に比べたら甘い、と思っている。

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今から30年前の話です。

父の姉である叔母(当時65歳)が亡くなりました。

父は、男、女、男、女、女、女、男、女の8人兄妹で、叔母と父(当時63歳)は6番目、7番目にあたります。

1番上の叔父(当時78歳)は「よきにはからえ」と、いつも静観。

でも、長男の権利はがっちりというタイプです。

1番上の叔母(当時75歳)が兄妹の大親分で、彼女が下の弟、妹たちを牛耳っていて、逆らうことなどできません。

2番目(当時70歳)、3番目(当時67歳)の叔母は言われるがまま。

1番下の妹(当時61歳)は言われたことを行動に起こします。

2番目の兄はもうすでに亡くなっていました。

その中で、そのとき亡くなった6番目の叔母は一人我が道を行くタイプでした。

姉妹はみんな東京に住んでいたため、父は姉たちを「東京軍団」と呼んでいました。

叔母はとある大使館に勤めていました。

大使館から届いた弔文は、当たり前ですが弔文も英語で書かれていました。

お礼の手紙を書かなければいけませんが、まず、筆記体で書かれた内容を理解するのに一苦労。

今のようにすぐに検索ができるわけもなく、書店で「英語での手紙の書き方」のような本を捜し、ひたすら辞書をひき、私が必死で返事を書きました。

叔母は独身で、賃貸マンションに一人暮らしだったため、残された者たちは家の整理をやることになりました。

そこにあるすべてのものを片付けなくてはいけません。

東京軍団に加えて、父の代わりに私(当時31歳)と母(当時55歳)が手伝いに行ったのですが、整理したもののすべてが最高権力者である一番上の叔母のところに行きました。

叔母から預かっていた着物が我が家にあったのですが、黙っていたら「◇◇(6番目の叔母の名前)の着物はどこにあるの?」と聞かれました。

どこで調べたのでしょうか...ぞ~っとしました。

さて、肝心なのは遺産相続。

兄妹で叔母の遺産をどう分けるかが議題にあがりました。

叔母は給料をドルで受け取っており、英語だらけの書類はわけが分かりません。

それを翻訳するのが私の役目でした。

父は、我が家では立派な父親ですが、姉たちの前では末っ子扱い。

結局、一番上の叔母の鶴の一声で遺産分けが決定。

父は叔母のお骨だけ受け取り、お骨は我が家のお墓に入りました。

今ではその父の兄妹もみな亡くなりました。

従妹同士は現在、わだかまりもなく仲良くお付き合いができています。

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