<この体験記を書いた人>
ペンネーム:文月奈津
性別:女性
年齢:65
プロフィール:この前、ピンクのアジサイを買いました。
1988年、31歳になる3日前に結婚式をあげた私。
32歳の春、ママになることになりました。
私は、24歳のときに最愛の母を亡くしたため、母の助けなしで出産しなくてはならないことに不安を募らせていました。
私は友人や夫に心配されるほど体力がありません。
しかも不器用で、友人の赤ちゃんも落としてしまわないかと、いつもこわごわだっこさせてもらっていたくらいです。
そんな私が妊娠7カ月のとき、ある会の役員に選ばれました。
それからは会の運営や会員への連絡、会合参加への呼びかけなど、多忙な毎日を送ることになったのです。
一番年下なのだから、謙虚に、誠実に振る舞わないと...と緊張していました。
そんなとき、ある婦人誌の新年号に掲載されていた著名な作家のエッセーを読んだ私。
タイトルは「詩心にうるおう明日」だったと思います。
たとえどんなに忙しい日々であっても、たとえどんなに心が真っ暗になるような日々であったとしても、詩心を失ってはいけないと書かれていました。
季節の移ろい、毎日何気なく歩く道に咲く花にも美しさがある、その美しさを受け止められる人が、詩心を持った人なのでしょう。
当時、忙しさに追われて心の余裕がない自分を思い返し、少し悲しくなりました。
そして、思い出したのです。
会の仕事で訪問したことがあるAさんの玄関には、いつもきれいな花がありました。
Bさんの玄関にも、ひなまつりを迎えるためのお内裏様とお雛様が飾ってありました。
これも詩心ではないでしょうか。
私もこのようにうるおうような日を送れるのかとため息が出ました。
そして、読み進めたエッセーの最後にこう書かれていたのです。
喜劇王のチャップリンは「あなたの最高の作品は何ですか」と聞かれたとき、「Next one.(次の作品さ)」と答えたそうです。
「Next one」、この言葉が私の心に刺さりました。
私は芸術家ではないから最高の作品はできない、でも次の日を最高の日にしようと生きていくことはできるに違いない、そう思ったのです。
これらの言葉は私の中に残り続けています。
義両親への仕送りが家計を圧迫するため、スーパーで買うお肉は豚のこま切れ肉とひき肉と鶏肉のみ。
でも、きっと買いたいものが買える日が来ると思いました。
夫の勤務先の会社が倒産し、四面楚歌とつぶやいてしまったこともありました。
でもNext one、明日はいい日になると言い聞かせました。
現在住んでいる家は、新婚の時から数えて7軒目にあたります。
大阪、福岡、札幌と3度の転勤。
せっかく土地になじみの友人もできたのに、また転勤。
ここより良いところなのかしらと不安がよぎったときも、Next one。
きっと次に住むところが最高のところと、心を明るいほうへ向けました。
現在65歳、体力の衰えだけでなく、覚えるより忘れるほうがはるかに上回っています。
でも、好奇心と向上心を失わず、明日はきっと最高の日だと考えて生きていきたいと思っています。
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