性別:女
年齢:50
プロフィール:夫が2年の闘病の末、悪性リンパ腫でなくなりました。2人の子どもだけでなく、要介護2の義母を抱え、入院費用や治療費のため借金もあり、お先真っ暗でした。それでも周りの人に助けてもらいながら、何とか暮らしております。
※毎日が発見ネットに掲載された体験記を再構成してお届けします。
私が夫と一緒になった時、私は34歳、夫は38歳でした。
その頃、義理の両親は共に72歳。
義父は要介護3でしたが、まだ元気だった義母が一人で世話をしていました。
私たち夫婦と義父母は、一緒に暮らしてはいませんでしたが、駅一つ分しか離れていなかったため接点は少なくありません。
プライドが高く、なんでも自分の思い通りになって当然と思っている義母との関わりは、当時からなにかとストレスのたまるものでした。
その後、1年も経たないうちに、老々介護を続けることができず、私たちと同居することになりました。
義母は73歳で要介護2の状態でした。
そして、同居を始めて半年も経たぬ内に74歳で義父が亡くなりました。
この時の義母は、さすがに見ていられないほど憔悴していました。
ただし、放心状態だったのは最初の一カ月で、その後は再びプライドの高い義母に戻ったのです...。
義母の実家はかなりの資産家で、父親をはじめ親戚も医師や大学教授といった職業の人ばかり。
義母自身も当時の女性には珍しく、国立大学を出ていました。
お手伝いさんがいて、運転手さんがいて、戦時中でもお父さんが欲しいものを都合してきてくれたと聞いて、信じられない世界だと思いました。
そういう育ち方をした人なので、なんでも自分の思い通りになると思っています。
そして、思い通りにならないと気分を害してしまうのです。
また、他人に対する評価もコロコロ変わりやすく、昨日までいいと言っていたヘルパーさんの事が今日は気に入らなくなることも。
それは医師や看護師に対しても同じでした。
義母は常に自分がルールブックなので、少しでも自分の意に反する事があれば「お前が悪い」と文句を言い出します。
最近も処方された薬が2週間分あったのに、独断で1週間ですべて飲みきってしまい、かかりつけの医師に急遽連絡して指示をあおいでお薬をもらってくる、ということがありました。
もちろん、義母はそれについて私に悪いとは思っていません。
周りの人間は自分の思い通りに動いて当たり前と思っているので、かえってお薬を取りに行くのが遅いと怒られる始末でした。
彼女は自分から謝ることがほとんどなく、たとえ自分が悪くても、怒るか、愚痴るか、嫌味を言うか、機嫌が良ければ言い訳をするという4パターンで対応されるのです。
そんな義母は、今日も今日とて、自分が中心の反論を繰り広げます。
付き合うのは面倒ですが、夫と一人息子に先立たたれ、天涯孤独の身の上のことを考えてしまうと、そこまできつく言うこともできません。
「1日ぐらい大人しくしてくれれば、少しは違うのだろうに」と、ついつい思ってしまいながらも、亡き夫を育てた母親であり、子供たちの祖母なのだと思うと、大切にしなければ、とも思う日々です。
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